「自由」ってのは何をやっても許される、自由奔放を意味しない

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これは多分に誤解されている話ではあり、当方も何度か「自由と自由奔放は違う」と説明した際に、「馬鹿だろ、何やっても許されるのが自由だ」とドヤ顔モードで突っ込まれた経験があるので、そういう認識はそこかしこにあるのだろうなあなと思いながら。

仮にある界隈、方面の行動に関して「自由」が認められていたとしても、それは何をしても許される事を意味しない。仮にそうだとしたら、あらゆる人が自由気ままに行動を成し、まさにヒャッハーな無法地帯と化してしまう。弱肉強食。

自由はあくまでもそれを定めた決まり、ルールに従った上でのものであるし、他の決まりごとに抵触するのならばその観点で仕来りに従う必要がある。ある行動の自由を主張するあまり、他の行動を束縛したり、秩序を破壊して結果的に他人の自由を奪うのは、単なる自由奔放。「俺は自由に食事ができるから」とばかりに無銭飲食をすればお縄になる、そんな感じ。


市議を担いだのはその人自身がそういう方面の考えなのか、それとも神輿として担がれただけなのかは当人に聞かないと分からないのだけど、権威を利用するという動きには違いなく。この類の暴走行為が出てくると、他の大勢の真面目にやっている人たちが迷惑を被ることに違いは無い。


また、以前から何度か言及している「色々と皆空気を読んで、グレーゾーンな部分を上手に解釈して、世の中の潤滑剤的なものとしよう」という領域に土足で踏み込んで、自分のモノ的な縄張りをしようとして、「そういうことがあるのなら白黒はっきりさせよう」ってことになり、多くの人が痛手を受ける結果が出てしまう。


結局のところ、グレーゾーン周りも行きつくところはこれ。勉強や努力、周辺調査を怠り、美味しい汁だけ吸おうとして解釈を違えたり、都合の良いように線引きを仕切り直したり、欲張った行動をすることで、多くの人が痛手を受ける。自由とは勝手気ままな、奔放な、オールマイティーカードを握った上での行動を意味しない。感情論なるものを振りかざす姿勢もそれに似ている。基準も無く、好き勝手な事を他人への配慮なしに行えることがすべて認められると誤認している、あるいは意図的な誤解釈をしている。

これから都知事選やら参議院選挙になると、この類の「自由だから」って話も色々と出てくるんだろうなあ、と思うと頭が痛くなる次第ではある。

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このページは、不破雷蔵が2016年6月17日 07:19に書いた記事です。

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