「常識を疑う」は「非常識をうのみにする」では無い

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これは当たり前の話ではあるのだけど。世の中には常識が山ほどあるけれど、その常識が常に万能で正しくて絶対無比というものではない。単なる勘違いが継続しているだけだったり、周辺環境の変化で一時的に、あるいは今後ずっと常識で無いものとなってしまうこともあるし、特定条件下ではその常識が通用しないこともある。

常識......多分に不特定多数が同意できるもの......に従うのが一番楽で判断の労苦もいらず、万一実態と違えていても「だって常識に従っただけだもん」と責任回避の行動がとれるので、少なくとも自分の精神の上では楽。

一方で、常識を疑うべき場面にも多々遭遇することになる。自分のこれまでの経験則や知識と照らし合わせ、その常識は正しいのだろうかと疑問符が頭に浮かぶ。その際、常識こそが正しいのか、自分の知識や経験が正しいのか、疑いを持つ姿勢が大切。

ではあるのだけど。

「常識を疑う」は指摘の通り、「常識が正しいか否かを自分で精査する」「常識だからと疑問を持たずに崇拝する如く信じ込んでしまう選択をしない」であり、「常識以外のことをうのみにする」では無い。常識で無ければそれが正しくすべて信じ込んでよいというのは、常識が正しくすべて信じ込んでよいとする考え方と同じ位に愚かしい。それでは株式投資の手法になぞらえて「逆張り」と揶揄されても仕方がない。

常識としてAがあった場合、Aを丸ごと信じ込んでしまうのではなく、Aが正しいのか否かを検証するのがあるべき姿。「Aとは違う」と称するBをそのままうのみにすることではない。まぁ、確かに常識をうのみにすること同様に、常識以外のことをうのみにするのも簡単で苦労の要らない方法だから、それに逃れたいって気持ちは分からないでもないけれど。

            

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このページは、不破雷蔵が2016年5月 5日 07:38に書いた記事です。

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