不特定多数の人が集まる避難所で体現化するリスク

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先の九州・熊本地震だけでなく、自然災害の発生に伴い避難所などへ不特定多数が緊急避難的な集合生活を余儀なくされる際には、必ず発生しうる問題。そしてある程度の割り切りと「ゼロにする事が望まれるけれどそれば事実上不可能である事も認識しておく必要がある」問題。さらには費用対効果辺りまで考え、総合的な視野、観点で見なければならないのかなあ、という気もする。

突然の出来事で自らの意思に寄らずに一定の場所に集められた場合、当然多種多様な人が一堂に会するわけで、軋轢が生じてしまう。普段ならそのような問題が生じないように、自主的に移動したり専用の場を用意するのだけど(禁煙席・喫煙席が良い例)、それも不可能。周囲に迷惑がかかるようなケースもあれば、周囲への影響は生じないけれど自分が影響を受けてしまう事もある。

そのような場合に、啓発なり理解を求めるなり大義だからとゴリ押しがなされると、結局大きなストレスがかかり、トラブルの原因となってしまう。多少軸はずれるかもしれないけれど、ペットの同伴・同居も良い例かな。ペットを連れて避難する事は各方面で推挙されているけれど、避難所にはそのペットのアレルギーを持つ人もいる。難しい問題には違いない。リソース面では無駄に思えるかもしれない仕切り分けだけど、中長期的に見ればむしろポジティブと判断できる事も多い。


避難が長期化してくると、この軋轢は顕著化してくる。「緊急時だから仕方がない」のあきらめも、時間の経過と共に慣れ、次第に本来の思惑が前面に出てくる。状況は異なるけれど、例えば複数が同室する病室で物凄いいびきをかく人がいたら、他の人はどう思うだろうか。一日、二日なら「臨時だから仕方がない」で我慢するだろうけど、それが一週間、一か月と続いたら。身体的、病症的な問題で集団生活が難しい人だけじゃなく、精神的に、性格面で難しい人も少なくない。

大よそこのような状況の場合、バチをかぶるのは調停役。調停ができないからこんな状況になるんだ、お前が悪いとなってしまう。イレギュラーな事案に対応できるだけのリソースがあれば良いのだけど(指摘されている「調停役が倒れるまで」にしても、避難所を細分化できれば、倒れるまでには至らなかったはず。無いものをねだられるのでどうしようも無くなった次第。お金のやりくりができなくて心労で倒れる会社役員のようなものだ)。そして、だからこそ、細かい事案にも対応できるよう、余剰リソースは必要ではあるし、同時にそれを上手く配分できるスキルの高い調停役が必要なんだろうな。

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このページは、不破雷蔵が2016年4月27日 07:53に書いた記事です。

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