報道がデマを流し続けると報道界隈の信ぴょう性が下がり一次情報のみに聞く耳を立てねばならなくなる

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先の震災はもっと桁違いに多かったのだろうけど、先日の九州・熊本地震でも、少なからぬデマやらガセやら流言が広まっている。個人ベースならば個人の感想とか単なる間違いとか見解の相違レベルで済むのだけれど、法人なり一定規模以上の組織が運用するメディアからの発信情報となると、それではすまない事となる。

困った事に個々ベースの媒体の信ぴょう性は、ネット上では多分にかき混ぜられる傾向にある。紙媒体や電波媒体ならばしっかりと仕切り分けされているけれど、ネット上の配信記事はあちこちに承認の上で転用され、転用先の肩書・権威が上乗せされる。はたから見れば「法人とか規模の大きなところの配信記事」としか読めず、みんなまとめて「なんか権威がありそう」的なイメージとなる。そこから引用される形で分散すると、本当に権威ある信ぴょう性の高い媒体からの記事と、胡散臭さフルスロットルの媒体記事が肩を並べることになってしまう。

中身が「噂の真相」で「サイゾー」グループの一組織であると言えば、その信ぴょう性のアレ度合いは一目瞭然なリテラの記事にしても、ヤフードメイン経由で配信されれば超信ぴょう性のあるものと思われてしまう。


オスプレイに絡んだ先日の産経新聞の記事にしても似たようなもので、また朝日新聞はしょっちゅう似たような話を繰り返しているけれど、単なるミスならともかく、半ば以上意図的な、核心的利益とでも評することができる意思の下で、事実と異なる、ミスリード的なものを「事実報道」的な形で伝えるケースが増えてくると、一次ソースに当たらねばならない場合が多々生じるようになる。騙されてもいい、踊らされてもいい、痛い目にあってもいいのなら、何も気にせずに新聞などに書かれていることをそのまま鵜呑みにするのが、一番楽ではあるのだけど。

一次ソースの取得の機会や、分かりにくいことを簡易に正しく把握するため、そしておかしなことがあればツッコミを入れるツールとするために報道は存在を認められているわけなのだけれど。一次ソースは分かりにくくするし、簡易ではあるけれど正しくないことを知らしめようとするし、むしろ報道自らがおかしいとしてツッコミが入れられるケースが多々ある昨今では、受け手の信頼が損なわれても仕方がない。そしてそれは、報道の存在意義自身が問われている事態でもある。


実のところ、この視点も多分に正解の一つなんだろうなあ、とは思う。これまで無かった反論や指摘があり、対応できない状況なのだろうな。これまで一方的にいじめてきたいじめっ子が、いじめられっ子から正論を持って反撃され、逆切れするような感じ。まさに「のび太のくせに生意気だ」的な状態なのだろう。

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このページは、不破雷蔵が2016年4月23日 08:24に書いた記事です。

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