「経済の成長を止める」と「脱成長」

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以前の選挙で一部界隈(一部シニア層や知識人)がお騒ぎになられた「脱成長」的フレーズが、少々文言を変える形でまたぞろ出てきた感があるので。「脱成長」があまりにもキャッチーな言い回しだったので、警戒されるからというところがあるのだろう。ただ、言わんとしていることは同じ。

いわゆる「脱成長論」の姑息なところは、成長を止めるだけでなく後退もニュアンスとしては含まれる点。経済的な施策を施さない、要は無策・害策で押し通し、経済が低迷しても「目標達成」を語れる点にある。その上で、脱成長によって成し得られる便益が果たせなくても「努力が足りないからだ」と反論できる。あれ、この仕組みって悪質な新興宗教と同じでは。お布施して何か良い事があれば「信奉のおかげです、もっとお布施しましょう」、良い事がなければ「信奉が足りません、もっとお布施しましょう」。


世の中は多分に相対的な価値観によるところがある。現状維持ですら現実問題としては、成長を前提としなければ困難。また、メンテナンスなどの維持活動におけるリソースを考えても、「何もしないこと、前に進む努力をしないこと」が現状維持にはつながらないことは良くわかる。

そして前に進むことを否定した時点で、生物としての本能を否定したのに等しいと考えても良い。生物の本能は勢力の維持拡大にあるからだ(例えば、それが無ければ生殖活動には否定的になってしまう)。「脱成長」を主張する筋には、その言だけで胡散臭さを覚えてもよいのではないかな。

非常に皮肉なお話なのだけど。数年前の選挙で問題となった「脱成長論」を言い回しを変えて蒸し返している時点で、その界隈は「脱成長」しているということになる。つまりはそういうことなんだろうな。


「脱成長論」の界隈は良く精査すると、多分に「置いてかれても十分に豊かな暮らしができる裕福な人達」か、「脱成長をすることで進歩発展に割り当てられているリソースを、自分達に配分してもらえる」と信じている人、さらにはそれらの人達を後押しする事で益を得られる人だったりするわけだ。

他人を巻き込まないでほしいな、というのが正直なところではある。

            

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このページは、不破雷蔵が2016年4月 6日 07:15に書いた記事です。

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