「十分に質が劣化した報道は、流言と見分けがつかない」

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現在もなお進行形の某衛星に絡んだ話。一般報道界隈からも断片的な情報は入ってくるのだけど、表現が曖昧だったり時間差が生じて時系列が前後していたり、「書いた記者が内容理解してないだろ」的なツッコミがシロウト+αレベルでも分かるようなものがあったりとして、まさに震災直後の情報混乱と同じような状態にある。まぁ、見出しでインパクトを持たせた方がリンクをたどってくれる可能性は高くなるし、拡散される確率も上がるからねえ。

で、色々と探った限りでは、一般報道からの情報は押し並べて遮断し、一次情報を発信している場所を突き詰めてそこからの情報を取得。余裕があれば常日頃から該当界隈の正しい、少なくとも確からしさの上では数字の上で十分許容できる対象の言及に耳を澄ました方が、より速く、より正しい状況確認ができるとの結論に達した。

その結論に達した直後、冷や汗が出た。報道、要らないじゃん。むしろ、邪魔じゃん。


SF作家のアーサー・C・クラーク氏によるとされているクラークの三法則のうち、もっとも有名な「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない」。これをもじった話ではあるのだけど、「十分に質が劣化してしまった報道は、流言と見分けがつかない」と言われても仕方がない。流言には無意識、自然に生じてしまうものもあれば、意図的に発信者が流すものもある。その観点でも、「十分に質が劣化してしまった報道は、流言と見分けがつかない」は正しいもののように見える。あとの二法則もちょいといじれば、報道の三法則ってのもできそうだけどね。


今件衛星事案に関しても、指摘の通り、良い意味で報道界隈の力量を推し量るリトマス試験紙にはなる。ただこの類の試験紙って、2009年の秋以降、インターネットによる情報発信が積極的になされスマートフォンで情報を取得する人が加速度的に増えて以降、そして震災以降、何枚も創られているんだよね。その限りでは多くが評価F。

昨今の従来型メディアへの評価の変容も、あるいはその「評価F」のリトマス試験紙が続々と貼られているからなのかもしれない。

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このページは、不破雷蔵が2016年3月28日 07:38に書いた記事です。

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