「実名でネットコミュニティは良くなる」なんてことは無いのだよね

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以前似たような論調を掲載したら袋叩きにあったけれど、その多分も実名、しかもFacebook経由だったことから、その反応自身が論拠となってしまうという皮肉なお話。先日某所に掲載した国連周りの調査結果を挙げたあとに、やはりFacebook経由のコメントで罵詈雑言や人格攻撃的なコメントが複数寄せられて、この人たちは自分達の身元を明らかにした、自分自身とその発言内容が紐付けされていることを認識した上で、このような語りをしているのかなあと思うと共に、あらためて「匿名を廃止して実名にしても、皆が皆紳士淑女になるわけでもなし」というのを実感した次第。

確かに実名によって過去の各種経歴とのリンクが成され、慎重さを期する要素が一つ加わる。良くたとえに挙げられる「その言葉を自宅の玄関先に貼っておいても問題ないと判断できる言葉を選びなさい」的な。ただし実際にはその歯止めがあまり効果を発揮していない気がする。さらにネットコミュニティそのものは広大だから、その歯止めが効果を奏したとしても、全体から見ればごくわずかで、実質的には無いのも同じ。今現在における肩書の薄っぺらい現実と似たような感じ。


匿名......というか最初から不特定多数の一人、アンノウン、名無しさん的なものなら、確かにそれを隠れ蓑にすることもあるだろう。ただそれがすべてでは無い。指摘の通り、匿名を無くすことで妄言・暴言の類が消えるのならば、この世から犯罪はほとんど無くなってしまうはず。

指摘では「監視境界線」とされているグレーゾーン的な、領域を超えたカオスの部分を超える人がとあるけれど、個人的にはむしろその領域決定線の線引きが随分と曖昧になっている気がする。実際、暴言の類のコメントをした人において、その後周囲から突っ込みを受けて攻められる立場になった時の反応を見ると、「ひとりごとだった」「対象に意見をするつもりはない」「単に感想を述べただけ」というのがかなりある。要は、テレビに向かってツッコミを入れている感覚で、不特定多数に、該当当事者にも容易に届く形で独り言を述べている。

ならばツイッターなりFacebookなりブログにせずに、自分の端末のテキストファイル内に日記的に書きこめばいいのでは、少なくともロックをして第三者に閲覧できないようにすればいいのではと思うのだけど、一方で「王様の耳はロバの耳」的に知らしめたいって部分もあるのだろう。あるいは特定少数間のやりとりとなるLINEと概念的に勘違いしている部分もあるかもしれない。

この辺りは教育課程的なもので、情報の開示に関する啓蒙、仕組みの把握をしてもらう必要があるような気がするんだよね。

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このページは、不破雷蔵が2016年3月28日 07:05に書いた記事です。

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