現場に居た人や、内情を知っているはずの関係者の言及が、すべて事実とは限らない

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これはつい陥ってしまいがちな錯誤、そして「この立場に居る人の発言ならばすべて事実だと思うに違いない」と第三者、さらには当事者自身が逆に利用することもあるのだけど。暴露話などではよくパターンとして見受けられるのが、当時現場に居た人や、事案の関係者、特に相応の地位にあった人の語りが呈され、それが事実であるとの前提で話が進むというもの。

でもちょっと考えてほしい。その人の語りがすべて事実で、それ以外、特に以前から語られていた話はすべて間違いであるとの裏付けは、どこで行われるのだろう。

交通事故の事故現場における目撃証言でも、錯誤が生じていることはよくある。人の記憶や感性はあいまいだから、数量的なものですら間違いの可能性も否定できない。さらに語り手側を有利にするため、あるいは特定人物を陥れたり逆にかばうため、詭弁や偽証がなされていることもありうる。

そしてその語りが事実であるか否かを精査せずに、「そのような立ち位置だから」とすべて丸のみすると、思惑にはまってしまう可能性もある。複数の類似意見を集めて重複する実態を確認したり、実数字や客観的事実と照らし合わせ、整合性をチェックし、その話の確からしさをチェックすべき。

少なくともその語り手の普段からの言及の信ぴょう性は精査は必要不可欠。いつもウソをついていたりデタラメを語っている人が、その事案の中に居たからという理由だけで、語る内容はすべて事実であるとの認識を示すのは、あまりにも軽薄すぎる。「事実か否かはともかく」そういう話もあるよね、この人からはこのような形の発言があったと、と語られたこと自体のみを伝え、語られた内容の正否は不明である、裏付けが取れていないことを明確にするべき。

少々軸はずれるけれど。特定の分野の専門家が、その専門分野に自分自身もどっぷりとつかっている、その状態にある場合、常に一歩引いて客観的に考える視点を持つ必要がある。その発想を持っていないと、自分自身の事、あるいは自分のごく身近な周辺の事のみを、全体像と誤認してしまう可能性が多々ある。自分の周りの世界が、世界全体の代表のように思えてしまう、あるいはそのつもりが無くとも無意識に判断してしまうかもしれない。

自分は辛い立場にあるし、自分の友達も辛いから、この立ち位置にある人は皆が皆、つらいに違いない。だからこの立場そのものは撤廃すべきだ、糾弾すべきだ。奥深さを、非常に近しい体験を濃い濃度で知っているだけに、それで情報を満たしてしまい、世界全体で同じ事が生じていると誤認してしまう。

一歩引く、統計的な値を見る。冷静な目で自分の周りだけでなく、全体を見渡す事ができなければ......とは思うのだけどね。

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このページは、不破雷蔵が2016年3月10日 07:32に書いた記事です。

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