大学に係わる問題と大学教授の内情露呈と

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大学の学費問題や補助金問題、存在意義、Fラン大学問題など、昨今大学周りの話が色々と話題に登る。奨学金関連もそうだけど、これはちょっと別の問題がありそうだからさておくとして。

大学の存在意義、その権威について揺らぎが生じているのは、その大学で教鞭をとられている教授陣の実態、内情、本質、実力が、個人のサイトやブログだけでなく、Facebookやツイッターで多くの人に知られるようになったのが要因として小さくないのかなあ、と思う今日この頃。そりゃ大学自身が何かを語ったり、全体で申し合わせたようにすべての教授が一斉にスットコドッコイな語りを表明しているわけではないのだけど。

「このような考え、実績、技術の持ち主なのか、素晴らしい」「多くの学生、生徒を導くのにふさわしい人だ」と評価を高め、尊敬を集め、大学の意義を底上げするのに貢献する方もいるけれど、「こんな事を日頃から語り、主張しているのか。これはヒドイ」「象牙の塔に胡坐をかいているだけ」「何言ってるのこの人?」と評価せざるを得ない方も少なからずいる。そしてそのような人達の方が概してSNS上では発言も多く、目立つ傾向がある。

そのような所業が繰り返されると、その教授(など)自身だけでなく、その人が所属する大学、さらには大学全体に対し、「この類の人達を国費による支援(あるいは国費そのもの)で支えているとは」と失望しているのがあるのだろう。もちろんすべての構成員が同じような体たらくをしているわけではないけれど。そして同時にこれは、今まで政治家や官公庁の従事者に向けられる可能性のある意見と何ら変わりは無いのだよね。

もちろん多様な意見の中で、現在では認識され難い類の研究をしている人もいるだろう。その中には破天荒な意見を持つ人もいるだろう。それはまだ多様性の中に当てはまるから、まだ問題は無い。問題視されているのは支離滅裂で数理的、論理的に考慮の対象外であったり、むしろそれに仇名すような形で学問を悪用しているような領域に達している存在。

教授と呼ばれる方々の中で、その教鞭対象となる専門分野を、政治的方向性に向けて「活用」し、しかもその使い方が破天荒である事例も見受けられる。そのような場合は特に「学費の濫用、悪用ではないのかな」と思われても仕方がないかと。学問の自由は誰にでもあるけれど、その自由奔放な姿勢すべてに国や自治体の支援をする必要は無いし、学生が対価を支払う責務も無い。自由と保護対象とは別物。ある意味、既得権益の悪用。


ソーシャルメディアは情報露出のハードルが低い事もあり、本質が暴露されやすい。そして情報の公知との視点では、ウェブサイト上の記述、さらには公共の電波を用いた発言、論文の公開と何ら変わりはない。そのような環境下でなされている論説の中には、該当人物本人だけでなく、所属する大学、そして大学そのものへの綱紀粛正を求める意見が出てきたり、リソースの有効活用をすべきだとする主張が高まるのも、ある意味当然ではないかな、と。

肩書を有している以上、その肩書の組織を背負っているのと同じ。官公庁の所属員、政治家が何かソーシャルメディアや公の場でやらかしたり、非常識な話をすれば、その人だけでなく組織全体が注視される。それと何ら変わりない。もっともこれは、メディア企業単位でも同じではあるのだけどね。記者の語りだから新聞やテレビそのものは関係が無い、では済まないわけだ。

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このページは、不破雷蔵が2016年2月14日 08:59に書いた記事です。

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