「高市総務相による「停波発言」と朝日新聞記者の発言と「報道」姿勢の実情をかいま見た

| コメント(0)


先日の総務相による停波発言。叩きネタとして使えると判断されたからなのか、いくつかの界隈で色々と持ち上げられているけれど、その論法はまるで世界支配層に世界は牛耳られているとかいう類の、薄い相関関係による強引な連想付けやら、その場しのぎの印象論的なもので論理的には破たんしていたり、過去の情報を探ることが難しい昔と同じ手法の繰り返しで、頭が痛くなってくる。その大よそは上のまとめで絡めてあるのだけど。

今件の放送法周りの「お騒ぎ」で分かったのは、古来メディア関係者は自らの既得権益に少しでも触れ「そうな」物は一切タブー視し、近づくことすら許さない、半ば悪質な利権としている実態。さらにその雰囲気を利用して、権益をさらに増やそうとしたり、相手を叩くのに利用している感がある。

周辺環境が変化しても、頑なな姿勢を崩さないので、自然に旧態依然なものとなる次第。加え、かつては昔の情報や出来事を検索・参照する事自身、少数者にしかできなかったので、その場しのぎの虚偽でも押し通せる姿勢を維持しようとしてしまう。

「ちゃんと一次ソースを確かめて読もう」「前後関係や背景も確認しよう」「切り貼りが成されていないか精査しよう」「過去の事例も調べよう」。今件事案でもこれをしっかりと行えば、虚言や煽動に迷わされることは無い。そしてこれらはさほど難しい話ではない。ただ、やはり手間はかかる。だからこそ、それが時間的に難しい人のために情報を絡める、例えば報道には、欠かせない要件ではあるのだけれど、それが意図的に、あるいは技術的にかまでは分からないけれど、出来ていない。


相手が強いから評価基準を不公平に厳しくして、自分達の持つ武器で叩いても構わないとの意見が、よりによって現場の、相応な立ち位置の報道関係者から「公的に」出されるとは。正直、驚き。見方を変えれば、この発言は、「相手によって善悪評価の基準を変えている」「伝える・伝えないの判断基準を公正に行っていない」との内情の暴露とも読み取れる。まさに「『報道しないこと』これがマスコミ最強の力だよ」を証明したことに他ならず。


結局これなんだよねえ。報道が今までの独善的な立ち位置を失い、相対的に立ち位置を低いものとし、さらには技能的には相対的だけでなく絶対的な劣化まで生じている。にも関わらずこれまでと同じふるまいを行い、同じ権益を求めているので、結果として生み出される生成物も不具合が多くなる。そして受取側はそれが本物か否かをわざわざ確かめねばならなくなる。当たり前のことすら出来なくなっているってことを、当事者自身が気が付いていない。それこそが今の従来型の報道に携わる人たちの一部における問題となっている。

まるでマクドナルドの現状と同じ。現状認識を行わず、周囲では無く自分自身に合わせて行動をしつづけようとする。まさに天動説論者のようなもの。そんな気がする。

関連記事             

コメントする

            
Powered by Movable Type 4.27-ja
Garbagenews.com

この記事について

このページは、不破雷蔵が2016年2月12日 07:29に書いた記事です。

ひとつ前の記事は「ペットボトルに灯油保存で間違って大火災と検索エンジンの問題と」です。

次の記事は「電子書籍と紙の書籍の違い、また一つなるほど感」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

* * * * * * * * * * * * * *


2021年6月

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30