専門家の自称や国家資格の取得ですらも、該当分野の言及が正しい事の担保としては弱い時代に

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...なったかなあ、というのが昨今特に思うようになったこと。具体的事例の提示は避けるけれど、まさにそれを実感させられるようなケースを先日目に留め、ついしたためてしまった話。ジャーナリストや研究家といった自称できる肩書はもちろんだけど、国家資格として認められており試験をパスして能力があると認められた人ですら、その方面での確からしさを保証する担保としては弱くなってしまった。

過去の経歴を洗い、確からしさの連続性を精査し、対象事案そのものに関しても周囲の意見に耳を澄まして見極めないと、容易に騙されてしまいかねない。自動車免許を持っている人すべてが安全運転をしているわけでは無いって表現が一番わかりやすいかも。

その例なら、以前は「免許を持ってる人は安全運転をするはず」との認識で問題は無かった。でも今ではその社会的な認識を悪用し、道具として自分の悪行に使う事例を多分に見かけるようになった。

数年前、ネット界隈で流れたネタ的話として、「ここ数年のうちに、これまで権威づけられていたもの、信じられていたものの実態が暴かれ、多くの人がそれを疑い、正しいものであるとは信じられないようになり、右往左往する」との話があった。ネタ話的な伝承とか、国家社会そのものの崩壊を語って不安をあおるだけのものかな、という感じで見聞きしていたけれど、あるいはこれがそうなのかな、と、いう想いがちらりと。

まぁ、価値観のダイナミックな変化は、情報のステージが変化すると生じるもの。大航海時代や地球が丸いと分かった時の人々の発想の変化とか、自宅周辺と学校近辺しか見渡せる世界が無かった子供時代から、遠出ができるようになった高校・大学時代とでは、大きく世界観が変わったのと同じ感じ。

話をちょいと戻して。例えば格闘技の有段資格者が、試合で勝つ、自分の体力をつける、技術を磨いて高みに登るためでなく、自分と相性の悪い、気に食わない人を叩きのめすためにその能力を用るとか、警察官が自分とは異なる意見・思想を持つ人がいるので銃を向けて脅す。そんなことは、決してしてはいけない。技なり与えられた権限が何のためにあるのかを無視し、あるいは濫用する事を意味するから。調理する包丁を人に向けるようなもの。なのだけど、肩書や資格取得のための能力を、本来の想定では無く、自分の考えを押し通すために濫用するのは、実質的にそれらの事例と同じような事がなされていることになる。例えば会計士が会社の脱税指南をするとか、ね。


キュレーター的な役割を持つ人が足りない、あるいはエセ的な存在が多いため、仕組みそのものが上手く働いていない、処理しきれていない。なので一人一人がその能力を持つ必要がある。無くても生きてはいけるけれど、ガセネタに振り回されるし、不幸になるリスクはどんっと跳ね上がる。情報化社会は便利な世の中になるための動きであったはずなのに、むしろ不便になった感もある。もちろん指摘のように、権威の魅力に取りつかれて結果としてそのような状況になってしまった人もいるのだろうけと。

まぁ、一つの目安として。デスクワーク的な資格業(侍業)において、感情論的なキーワードが出て来たら、その内容は疑うべきだよね。

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このページは、不破雷蔵が2016年1月30日 08:24に書いた記事です。

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