「意識高い」の問題点、単に意識が高いだけなら指さしされることは無い

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「意識が高い」という非難的表現に関して、その言葉自身が持つ本来の意味の解釈と多分にごちゃごちゃになり、一度定義をしておいた方がいいのだろうなあとは思っていたのだけど、なかなかまとめることができず。今朝、ふと頭にイメージが浮かんで打ち出してみたら、それなりにまとまった感があるので。

いわゆる「意識(が)高い」の言い回しは、先走ってしまったり、スタイルのみが先行したり、ちょっと格好つけたり、中二病的なところを意味するようにも思える。でもそれは特に後ろ指を指されるようなものではない。形から入るのはむしろ良い方法論であるし、試行錯誤の中のプロセスの一つでもある。多様な発想の中から新しいものは生れ出てくる。むしろそのような行動は称賛されるべきものですらある。色々試して頑張ってるじゃん、みたいな。

ではなぜ「意識(が)高い」との言い回しの対象が、否定的なものとなるのか。それは技術が追い付いていない云々ではなく、その意識の高さによる行動や発言が、他者への攻撃や負の影響を与えるためのツールとなっているから。的外れな主張で他人を貶めるから問題視される。

例えば、以前どこぞの偉い人が主張していたように「地球環境に害をなすのは人類自身だ」というのは、意識が高い発言に違いないのものの、ガイア理論的にはその発想もあるよねとか、自然環境保護のためにどのようなことができるのかな、という方向性があれば、特に問題は無い。提起のネタとしては間違っていない。しかしその「意識」から、「だから地球に仇なす人類を滅ぼさねばならない」と主張して他人の家に火をつけたり、破壊活動に走ったり、商業活動を妨害したり、人にさまざまな不便性を無理強いしたりしたのでは、「意識が高い奴め」と非難されてしまう。


悪しき意味での「意識高さ」を持つ人の行動性向を見直すと、指摘の通り「自らを教祖とするための教典的情報」として、意識高い発言をしている感はある。子供ならその辺は無意識にやってしまうのだろう。世界観が狭いから。しかしそれを大人がやってしまうと、影響力が大きいだけに他人へ仇なす道具となる。上手く行けば宗教的なものとして自分をカリスマ化できるのだけどね。その辺の胡散臭さに気がつけば、「意識高い」存在がなぜ非難の対象となりやすいのかは、容易に理解できると思う。

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このページは、不破雷蔵が2016年1月28日 07:18に書いた記事です。

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