安全を削ってまでのサービスは本当のサービスじゃない

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先日のバス事案そのものは報道の有り方も合わせ、色々と事案そのもの以外の周辺でも考えさせられるものとなりつつある。事案そのものは他の人に任せるとして、いくつか考えさせられる、なるほどと思うことが出ているので、覚え書きとして。

今指摘はなるほどもっとも然りという指摘。オマケなどのサービスは元々、存在する利益を削って成されるもので、大本の安全性やリスクなどは変更されることが無い。それと、サービスをするために本来の安全性を削るのは別物ということ。

お肉屋さんでコロッケを買ったら常連客だったので、揚げておいたもののうち一つオマケしてあげるってのはいいけれど、一つオマケをするために消費期限切れの肉とじゃが芋を使ったおまけ用コロッケを作っておいてそれを提供するのは話は別。いや今件ならば例えとしては、おまけ用コロッケの分まで合わせた数を用意するため、販売するコロッケすべての素材を消費期限切れのものにするってところかな。競争のためにはオマケのコロッケを作りおく必要があるとしても、そのために安全性を放り投げてはいけない。


指摘の通り少なからずの値引きサービスや商品は、相応の仕組みがあって成されるもの。その仕組みにおいて、安全性をパスされたのではたまったものでは無い。「ほかに削るところが無いから仕方ない」との意見もあるだろうけど、それって期待値の概念では大いに間違いなんだよね。安全性を削除して、そのまま上手くいけばいいけど、リスクが体現化した時の損失と、その体現化の可能性を考えれば、実のところは「仕方ない」で削るとかえって損をすることになるんだよね。

まぁ、この辺りの話は先日の「お金で解決できないことの多分は、お金で大よそ解決できるか状況は改善できる」あたりともかかわってくるのだけどね......。

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このページは、不破雷蔵が2016年1月19日 07:46に書いた記事です。

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