「お金だけでは無い」な問題は、大よそお金で解決ができるか状況は改善される

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当方の本家サイトの方では公的機関の公開データを元にした分析精査記事も多いため、それを用いてさまざまな主張をなされるご意見を、掲示板やソーシャルメディアで目にすることがある。いちいちツッコミをするのも疲れるし、ツッコミをしなければならないようなヒドイ解釈のものは多分に、狂信的な内容の担保に使っている場合が多く、放置しておいても「他人も見向きはしない」「ツッコミ入れても逆上してくる」的な感じなので、見なかった事にしようとの措置をする場合が増えてきた。

それらの「見なかった事にしよう」的な内容の少なからずで見受けられるのが、この「お金だけが問題じゃない」問題。公開データは結構お金に絡んだ話があり、結果としても多分にお金不足が問題だよね、的な結論にいたるので、そこにカチンと来るらしい。

まぁ、確かにお金だけですべてが解決するのなら、それはそれで地獄と天国の表裏一体感は強いのだけど。現状で問題視されている事案の多分は、お金の要素が極めて大きいのも事実。そしてお金ってのは得てして貴賤の上では汚いもの的に扱われるけれど、多様なリソースを計量し、数字化し、蓄積し、時間を超えて保全できる概念であることを忘れてはならない。

概して「お金だけがでは無い」とする人は、お金が無くても他の事(根性とか精神力とか気合いとか、数字化できない曖昧なもの)で何とかなるはずだと、精神論で物事を考えている節がある。統計はとっていないけれど、当方の数々の経験則からその傾向は極めて強い。お金を挙げているけれど、お金第一とかキタナイ話はやめようよ、他にもっと大きな問題・解決法があるじゃん、お金だけじゃどうにもならないよね、的な。それは見方を変えれば、お金をケチりたくて誤魔化しているのと何ら変わりはない。

キタナイ云々は「あなたの考えですよね」で終わってしまうし、「どうにもならない」のか否か、まずはお金を必要量投入してから考えては? となる。戦力が足りない、兵器性能が足りない、でも精神力や気合いで何とかなる。戦中後半の精神論云々とどこが違うのか。

精神論の類は、前提となる、ベースの十分なリソースの投入があって初めて成し得るもの。そして仮に万が一、精神面で頑張って何とか物事を成し得たとしても、「お金だけが問題じゃない」と主張した人達には、何の功績もないし、成功事例に貢献はしていない。


昨今よく見聞きするようになった「社会福祉・保障の金額が削られている」云々の話。社会福祉の額が減ってるので社会が悪くなっている。今の社会は良くない、悪化している。どこかが無駄遣いしている、不当な利益を得ているとするものだけど。実際には社会福祉の総額はむっちゃ増えている。受給する側が急増し、納付する側を増やさねばならないのだけど、その増やすための種籾的リソースまで食いつぶしているのが現状。むしろ、そろそろこの状況の切り替えが必要だと個人的には思うのだけど(EBIとかは一例)。

これが好例だけど、また当方自身も時折(しばしば)勘違いやミスをするので自戒も含めてだけど、数理的に正しくない事、おかしい事を「声高に語っていれば」「美味しい部分だけ切り取って語れば」何とかなる的な高圧的ご意見は、控えられた方がいいんじゃないかなあ、と思う。社会保障に関しては、もう少し突っ込みを積極的にした方がいいなかなあ、とも思ったりする。自分の記事が使われた時に、だけどね。あまり曲解のネタとして使われると、やはり色々ともにょもにょするのよね。

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このページは、不破雷蔵が2016年1月18日 08:06に書いた記事です。

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