「視聴者が求めているから」「印象を刻む必要がある、記憶に残させるため」って結局言い訳だよね

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実売商品の回収はよく行われる話ではあるし、雑誌や書籍でも時によっては回収されることもある。けれど新聞は回収も代金返却も滅多にないよなあ、ということを思い出しながら。ココイチの問題でも、結局のところ事案を印象深くするため、注目してもらうために、知名度の高いココイチの名前が連呼され、その連呼ぶりや表現方法で、多分の責があるように報じられるのは、結局のところ「視聴者が求めているから」「視聴者に事案を印象深く、記憶に残させるため」との大義名分を自覚している感は強い。

以前にも何度か触れているけれど、それを報道としての義務、責務だとして核心的利益のように考えている雰囲気が多分にあるし、それを意味する発言も多々関係者の口からは出ている。

けれども、「視聴者が求めている」もの、様式は多様に存在するわけで。その中からわざわざ選択して伝えているのは報じる側なので、それは視聴者への責任転嫁でしかない。そして「事案を記憶に残させるため」との話は、果たしてその必要はあるのか否かとの視点で考える必要がある。記憶に残さずとも記録に留めておき、必要な時に参照が容易にできるようにすればよい。まさにアーカイブ的な概念。さらに「記憶に残させる」ために間違った印象付けをしたのでは、事実と異なる内容を記憶に残させることになる。本末転倒。


ココイチの事案ではなくバス事故の事案の話となるけど、報道姿勢の観点では多分に被る話なので。結局、関係者のプライバシーのフリーコンテンツ化ということなんだろうな、と。これは非常に的を得た表現といえる。本来あってはいけない、やっちゃいけないことだけど、それを正当化するために、「視聴者が求めているから」「視聴者に事案を印象深く、記憶に残させるため」を振りかざす。自分らは皆の情報を代わりに取得して公知するのだから、何をしてもかまわない。その免罪符さえあれば、あらゆるものが自由に取り扱える。

その雰囲気に関しては、ここでも何度か触れている、複数の「著名な」ジャーニャリストや新聞記者の方々には強く現れているし、先日当方自身もテレビ関係者とのやりとりの中で改めて強く認識させられている。まるでバイキング料理で並べられた料理をひょいひょいとお皿に盛り込むような、そして気に入らなければすぐに自分のお皿から元の皿に戻してしまうような、そんな不作法さがあるんだよねえ。

情報を、相手の立場を大切にしない、雑に扱う意識ってのは、結局特権階級意識が強いのと、情報に関しては物理的存在ではないから軽んじてしまう傾向が極端に出ているのかもなあ、と思う次第。

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このページは、不破雷蔵が2016年1月18日 07:47に書いた記事です。

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