昔の発想、アイディアを今の技術でモノにしようという発想

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技術は多分にして人の願望を体現化するための知識であり、それ単体では無く過去からの系譜的なつながり、蓄積によって高度化されるもの。人のアイディアすら、その技術に触発されて新たな発想が見いだされ、想起されていく。過去においては「こんなことができるといいな」でも「今の技術では不可能だな」だったものが、今では「こんなことができるといいなと言われていたな」「今の技術なら可能だな」ということが結構ある。それを「ワインの熟成期間」に例えるのは言い得て妙。

もちろん過去の発想の蓄積自身が残っている必要があるし、それを容易に検索して取得できる情報のデータベース的なものの存在は欠かせない。しかしそれが叶えば、昔の人の発想を掘り返す事で、当時の人の夢を体現化すると共に、発想部分のショートカットができる。それは【「先人の下ごしらえを活用することはとても大切」と八房龍之助先生のお話】でのお話の「利用できるものは利用して先人の済ませてくれた下ごしらえを踏み台にして、切り詰められる所はズルをしなきゃ」に通じるところがある。松本先生の戦場漫画シリーズでも似たような話があったな。技術者が取り残された島で書き記されたアイディアノートを元に、今の技術を盛り込んで、レースに圧倒的優位で優勝したレースの話。


以前、情報の断絶が懸念視されている云々とした、インターネットが普及する前後の話もあわせ、ネットの浸透でわっと目に留まる機会が増えた以前の「発想」ってのは、お宝の山でもあったりする。「物量作戦」ってのは結局、下手な鉄砲云々ってことで、それができるようなリソースがあるのなら、それに越したことはないとの点で正解。移住可能な新しい惑星を探すために用いる無人探索ロケットは、数が多ければ多いほど良いよね、的なSFの話と同じ。


現在のコンピュータの概念的部分を構築し、解析機関を論理的に生み出しておきながら、当時の技術ではそれを体現化する事ができなかった、チャールズ・バベッジも良い例かな。その意味では「今、金になるから」「利益が確実に得られるから」との理由だけで、科学や技術、研究の良し悪しを判断して取捨選択するのは、超短期的はともかく、中長期的には非常にマズイ手法でしかない。まさに「種もみを食う」手立て。

で、バベッジの話をしていたところ、


こんな話が。資本論との関係は初めて知った。これは後で読むことにしよう。

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このページは、不破雷蔵が2015年12月18日 07:09に書いた記事です。

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