罪深きデフレ思考、保育士や介護系の話も結局はそこに行きつくのかも

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保育士が不足しているのは報酬の少なさが問題だから、報酬を多くするよう手配しましょうではなく、報酬が少なくても済むようにしましょうってのは本末転倒な話......というより数合わせ的なものでしかない。例えは悪いけど、第二次大戦末期のドイツにおける国民突撃隊とか、日本の竹槍部隊みたいな発想。あるいは指摘の通り、医者が足りなければそれっぽい人をあてがえばいいじゃない、みたいな。違うよ、全然違うよ。

結局、介護系の問題も合わせ、突き詰めるとデフレ思考がもたらした問題かな、というのが一つの結論。相応の労働、成果には相応の報酬。それよりも先に「安ければ良い」「自分が儲ければ良い」が来た結果、自身の首が締まる事になる好例かな。

例えば保育士の場合、報酬を上げれば資格を持っているけど生活が難しくなるので他の仕事についている人も、保育士に従事するようになる。新たに保育士を目指す人も増える。これが本来あるべき姿。ではあるのだけど、報酬を上げないってのは結局、「報酬を上げるとコストが増える。すると利用者における負担が増すので文句が来る」ってのが本音としてある。

でもそれ、変だよね。ブラック企業化を推進? 介護系の話も結局は同じもの。使う側が「利用料金が高くなるから使いにくくなる云々」ってのが出てきてしまう。使い手の利便性のためなら、提供する側は倒れてもいいのか、でもそれ違うよね。第一、サービスを提供する側も同時に消費者であるのだから。中抜き云々はまた別の話。それはどの業態にでもある話で、解決しなきゃならないことに違いは無いけれど。

「お金の話を出すのは意地汚い」「金だけの問題では無い」との意見もあるのだろう。でも、お金って様々なリソースの指標であり、代替されうるものである事を忘れている...というより、知らなかったふりをしていないかな? という感はある。むしろそのように話を切り替えて、サービス提供側の労苦の積み増しを正当化している。

それこそ太平洋戦争後期以降の帝国陸海軍における「兵力の差、兵器性能の差は精神力で補うものである」とする、悪しき方向性と何ら変わりはない。「賃金の安さ、労働対報酬のコスパの悪さは精神力と社会的貢献という意義で補うべきものである」的な。ああ、先日の「オリンピックに向けてセキュリティ関係のボランティアを万人単位で」云々も、行きつくところは同じだな。

結局、お金を世間に積極的に回すようにしないと、経済は活性化しない。血液を器官のどこかで止めて、他の器官に「根性で、精神力で動け」としても、それら他の器官の働きは悪くなるばかり。精神力は重要な要素には違いないけれど、あくまでも底上げするための追加的要素。それ自身は単独で成りたつもりではないし、数字化できないからね。

今流行の「おもてなし」だって、相応のリソースが必要なんだけどね。

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このページは、不破雷蔵が2015年12月 7日 07:57に書いた記事です。

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