FC2凍結祭に技術情報の断絶リスクを見た

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先日発生したブログサービスFC2のアカウント凍結祭。後程公式に謝罪があり、自動精査ツールの誤作動(!?)で本来ならば凍結(ブログの利用禁止、表示不可能状態)されるはずのないブログまでボカスカ凍結されてしまったってのが判明した次第だけど。これをきっけかに他のブログサービスへの移転を決意した人の話も結構見聞きする。今回は「やらかし」宣言と状況の復帰が成されたけれど、次はどうなるか分からない、そして今回はその可能性があることが実証実験的に示されてしまったから。

そして指摘の通り、今件のような絶望的な状況に追いやられることで、情報の継続構築や披露意地の意志が砕けてしまうって場合はゼロとはいえないし、多々あり得る。半ば惰性でやってたけど、これが良い機会だ、止めてしまおうって場合もあるかもしれない。

今件はアカウント誤凍結だったけれど、例えばブログや掲示板、ホームページのサービス終了や仕様変更(悪化)などでも、似たような「情報の断絶」の可能性は多分にある。数年前にブーム的な形で生じた、ブログサービスの終了時期においても、多数のサイトが「んじゃ、止めた」ってことで情報そのものの破棄を行ってしまっている。一部は有志によって保全されているけれど、多分はもう戻ってこない。一部はWaybackや魚拓に残されているだろうけど、そこにたどり着く情報(リンクなど)が無ければ、誰にも気が付かれずに時間のみが過ぎていく。それはまるで化石のような。


SSってのはショートストーリー。短編小説やその類。魚拓やらWaybackはあるけれど完璧ではないし、これも指摘の通り企業体のサービスなのでいつ何時「止めた」ってことになるかもしれない。また、連続した保全では無いので、ページからページへのつながりは分からない事も多い。

情報はあるはず、あったはずなんだけど「今の」ネット上には残っていないし、当時の関係者で無いと分からない、しかも下手をすると都合の良いように(意図的・無意識に)事実が改ざんされている可能性もある。そんな状況が結構見られるようになった。特にパソコン通信からネット黎明期前後の文化において、著しい気がする。

「インフラ」って言葉が出て来たけど、普段から当たり前のように使われている物事って、逆に保全が難しい。当たり前すぎて、しかも量が多いので、誰も気に留めないから、保全をする意義・コストパフォーマンスがゼロに等しいように思われてしまう。で、少々時間が過ぎて、それが当たり前で無くなった時、記録がほとんど喪失してしまって分からない、的なことになる。江戸時代の水道システムとかが良い例かな。一応それなりに残ってはいるようだけど。

記録化ってのは一つ一つではほとんど無価値だからねえ。仕事になりにくいし、だれもやりたがらない。でもそれが積み重なると、継続・蓄積されると、少しずつ、確実に価値を持つようになる。単行本1冊を探しただけではあまり面白くないけれど、ずらりと過去の巻を揃えて話のつながりが読めるようになると、途端に全体が面白いものとなるってのと同じ。

この辺りは公金を投入して行うべき話なんだろうな。個別で採算は取れないけれど、継続性が必要で中長期的に価値を見出すもの。そして社会文化的には必要と思われるもの。金銭的な価値、効果を見出しにくいので、公共事業としても難しいだろうけど。

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このページは、不破雷蔵が2015年12月13日 08:13に書いた記事です。

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