人前で怒ることの意味を考える

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組織論、人心把握周りの話で、人前で対象を直接怒ってはいけないというものがある。多分にさらし者にするだけで、怒る対象となった事案への反省よりも、さらしものにされたとの反発心が強くなるからだ。一方、今件のように、直接の当事対象者ではなく、第三者的なものに対して怒りをぶつけ、当事者に同意を示す手法もある。

指摘されてみればあまり難しい話ではないのだけど、配慮の仕方としてはなるほど感を覚えさせる。実際に相応のネガティブな感情を抱き、怒っていることに違いはないのだけど、それを表現しないのも一つの手。でも今件のような事例の時には、あえて当事者の前で怒ることで間接的に当事者と心境を同一としていると伝え、あるいは当事者が表に出せない想いを代わりに露呈させることで、ありがたみすら覚えるかもしれない。ああ、この人は分かってくれている、と。


この視点で考えると、野球などで監督が抗議をしにいくのは、本当に監督本人が判定に理不尽さを覚え、判定をくつがえしてほしいとの想いの他に、人心掌握の意味合いもあるのではないかな、と。そう考えると、納得もいく。

もちろん抗議が度を過ぎて、監督自身が退場を命じられたら元も子もないけれど(笑)。

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この記事について

このページは、不破雷蔵が2015年11月 2日 06:01に書いた記事です。

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