「財源の話をしよう。すべてはそれからだ」と全体像としてのそろばん勘定の把握

| コメント(0)


子供のうちは欲しいものを「あれ買って」「これほしい」とおねだりするだけで良いのだけど、一人暮らしをはじめるようになると、お金の出し入れ、総合的な家計のやりくりなど、一歩引いた全体像で物事を考える必要が出てくる。ダイヤの宝庫、マリネラ王国のように無尽蔵に沸いてくる収入源があるのなら話は別だけれど。

で、大人なのにもかかわらず、最近その類の話が良く耳に入るようになった。確かにあれをすべきだ何に重点的な予算組込みをすべきだアレへの配分を増やすべきだ、その類の話は対象が良く知られて弱い立場にあるものならば、大いに賛同を得られるだろうし注目も集められるし当人は気高さを覚えられる。

ただ、その増配分のリソースはどこから持ってくるのだろうか。それを考慮せずに単に寄越せと語るのならば、それは子供と変わりはない。あるいは「そういう要望があることを、予算配分を決める時には知っておいてほしい」との願いのみとなる。後者ならば理解はできるのだけど、昨今のその辺りのムーブメントは往々にして前者で、しかもそれを果たさないと悪者扱いされるような強制論を投げかけてくる。配分を増やそうとする動きは正義の味方で、それに答えないのなら悪だ、的な。

その対象の重要性は分かる。でもね、どこからその増加分を持ってくるのかな。最近そんな疑問が高頻度で沸いてくる。どこぞの勢派のように「財源はありまぁす」と主張しておいていざフタを開けたら財務会計的に間違った理論でのそろばん勘定だったり、種もみを食い尽くしてまで寄越せという無理難題的な話だったり。「節約すれば」とタヌキの皮算用をしていたり。


「Balance of the planet」とか「Balance of Power」、昔のコーエーから発売されていた数々の経営系シミュレーションの数々。ゲームだからと鼻で笑う人もいるだろうけど、「ゲーム脳」なる言葉が出てきてから、とかくゲーム感覚とか馬鹿にされがちだけど、気軽に数量の把握や配分センスの大切さを学べるのって、非常に効率的。全体的な数量の把握とか、足し引きのバランスの概念って、ホント、大切。それがしっかりと習得できていれば、むやみやたらに寄越せ寄越せと語る筋が、いかに無理難題かが分かる。

結局のところ「お金」はリソースの姿形を変えたもの。「お金で解決できないものもある」は事実だけれど、それは同時に「ほとんどの問題はお金で解決できる」をも意味する。この点を概念レベルで認識することが、とても大切。どれだけの大人が、それを分かっているか......。


前世紀末から今世紀初頭にかけてちょっとしたトレンドになっていた、この辺りのシミュレーションゲームの類。爆発的ヒットはありえ無いのだろうけど、スマートフォン用のアプリなりで展開してほしいよなぁ、と思う今日この頃。お金の概念、全体像としてのリソースの動向の把握を習得できるからね。まぁ、海外のゲームならば上記で挙げたものは大よそフリーウェア化しているんだけどさ。

関連記事             

コメントする

            
Powered by Movable Type 4.27-ja
Garbagenews.com

この記事について

このページは、不破雷蔵が2015年10月24日 07:18に書いた記事です。

ひとつ前の記事は「三色パンは戦前から存在した、そして「パンの明治百年史」の無料公開を発見」です。

次の記事は「ビールケースのような、ちょっと素敵な電池入れ、一つ欲しいなでもどこに?」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

* * * * * * * * * * * * * *


2021年6月

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30