新聞の見出しと無料公開部分と、有料・登録会員のみ閲覧できる部分での分断による「報道」にハテナが頭に浮かぶ

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ハフィントンポストの日本語版はモロな内容で別格なんだけど、今件で問題にしたいのは本家朝日新聞の方。今事案では第一報を目にした時に当方も随分と驚いたのだけど、関係者や専門家の説明を見聞きするに及び、ああなるほどと納得した感じ。要は説明されている「年5ミリの被曝で白血病になると科学的に証明しているのではない」の部分が大切なわけね。労災で対象者を救済するための措置。

で、その部分は登録した人でないと目を通せない。登録会員がどれだけいるか、そして登録した人でもそこまで読む人がどれほどいるかは別として、この記事自身を直接読む人以外に、各種ポータルなどに転送されて無料部分だけを読む人、コピペされた無料部分のみを読む人も合わせて考えると、無料部分のインパクトがあるところだけを認識してしまう事例が圧倒的多数に及ぶと考えて良い。むしろそれを狙っている感は強い。

新聞報道では特にこの手法はよく用いられるのだけど、その第一印象的なものと、全体としての事実が別のものであれば、まさに羊頭狗肉なものとなる。偽物の有名画家の名画をホンモノと偽られた上で購入し、それをずっとホンモノだと信じ込んで飾っている感じ。


一人一人が騙される、誤解釈をされるだけならまだしも、それが事実めいた情報として周囲に広まり、他の人に実害を与えたり迷惑行為になるようなものなら、何らかの対処が必要になる。その誤解釈を核心的利益とばかりに繰り返し行わせるようなら、なおさらの話。

(有料)会員登録者でないと続きが読めない記事の展開に関して、無料部分だけでなく、有料部分まで読まないと真の意味・情報が伝わらないような、ハードルの低い無料部分のみでの情報では誤認識が容易に成されるような記事の公開の仕方。これは非常に問題。上記で記した通り、無料部分のみが不特定多数に拡散され、誤認識が広がるから。

これが例えば研究論文の類なら、全体像を読まねばならない、確認する必要があることは大よそ前提として理解されているので、特に問題は無い。でも速報性の高い、いわゆるニュース的な記事については特に、この類の切り口は避けるべきなんだよね。良く指摘されている「誤解釈を与える、意図的な編集」と同意なんだから。読者にしてみれば、本当にそれが正しいか否かを精査するためには「会員登録をして全文を読む」か、「一次ソースに当たって確認するか」の違いでしかないわけで。

それをニュース記事で意図的に行うことで会員登録を促しているのなら、それは悪手としか表現のしようが無い。「会員登録をしない状態でのうちのニュースは誤報的な内容かもしれません。でもそれは一切明記はしてませんよ」的な。会員登録をしないと全文を読めない=ニュースの骨格が分からない、つまり一次ソースに当たらないと確かか否かが分からないような状態の情報を流し続けていたのでは、そこにはニュース媒体としての存在価値は無いと思うのだけど。

例えば「速報! ●×で大火事、行方不明多数(以下登録して続きを)」と無料公開部分に記事があったとする。すると無料部分しか読まない人、さらには見出しと最初の部分しか目に通さない人は、大きな火災事故が発生したとびっくりする。ポータルサイトなどへ記事が転送される場合も、そのびっくり事案部分のみが転送される。しかし登録してはじめて読める記事には「...と、数年前にこのような記事が展開されたことを覚えているでしょうか云々」と続き、その火災事故は数年前の話であったことが分かる、的なことが起きないとは言い切れない。

ガイドラインがないため、何でもアリなのだから。可能性はゼロとは言えない。ツイッターなどで定期的に出回る、数年前の災害やテレビニュースの画像を貼りつけて「高温に気を付けましょう」「竜巻発生」として注目を集める、例の釣り手法と何ら変わりはない。

当方が昔教わった限りでは、ニュース、報道記事に関しては最初の一段落、あるいは英語で数百語(100だったかな?)であらまし、概要が分かるように書くことといった、鉄則があった。記事を最後まで読む人はさほど多くない。記事タイトルとヘッドライン部分で概要が分かるようにしなければならない。論文や解説記事ならともかく、速報性の高いニュース記事なら厳守すべき様式。でもそれを守ると、インパクトが弱く、目を通されない可能性もある。


すべての記事を洗い直したわけではないけれど、この観点では比較的NHKはまともな方かもしれない。

ビジネスモデルだから仕方がない、有料登録会員を増やすためには仕方がない。そんな意見もあるかもしれない。ただそのために、ニュースの内容の誤解釈を、誤情報の拡散を後押しするような姿勢を肯定するのでは、とてもじゃないけど文化を名乗り胸を張るような立場にあるとは言えない。それもまた文化だといわれればそれまでだけど、少なくとも例の「二つの吉田問題」の後で開催された反省会的な委員会とその後の機構改革が、何の意味も無かった、むしろあれを悪い意味で反省材料として「もっと巧みに、見つからないように、怒られないようにやらかそう」と認識したとしか思えないんだけどな。

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このページは、不破雷蔵が2015年10月22日 08:18に書いた記事です。

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