朝日新聞などの新聞記者のソーシャルメディアが炎上しやすく、際立った発言が繰り返される理由を考える

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先日の官房長官の発言に絡んで、一部でこんな話が生じている。新聞社は大手に限っても読売、朝日、毎日、日経、産経の五紙があり、それぞれ多分な記者を抱えており、ソーシャルメディアのアカウントも所有しているはずなんだけど、どうもこの類の炎上事案は、朝日新聞や毎日新聞の記者に多い。「記者」というくくりだけなら、フリー記者などでも似たような話はよくあるけれど。


前にも何度か触れているけれど「個人の感想です」とプロフィールで説明をしていても、それが所属団体の肩書を持つアカウントで成されている以上、その説明は筋が通らない。「会社の意向と離れて個人としての感想」ならば、会社とは連動性の無いアカウントで語れば良い。ペンネームなどで、本人の所属を想起させないように。見方を変えれば、例えば政治家が趣味的な場面で語っても、公務員がプライベートな時間帯で何か不祥事を起こしても、やはりその肩書はついて回る、そのように報道側は伝えるよね。自衛隊員とか警察官の不祥事が好例。

ちょっと一歩なり引いて自らの立ち位置を見直せば、考えるのは自由ではあるし、自分の身の回りの人に戯言的に語るのは良いとしても、その発言が不特定多数に見聞きされる状況は極めてまずいってのは、すぐに分かると思うのだよね。トイレの中での独り言、自宅に戻ってからの憂さ晴らし的なセリフ、友達との飲み会での戯言、それがアルタ前の大型スクリーンに映し出されるようなものなのだから。

上層部の意志云々などによる直接的な指示のもとに、このような発言・公知が繰り返されているのではなく、個々の構成要素が厳選・先鋭化した結果として、それぞれの行動・意思表示の上で、目立つ記者が残ったのかな、と考えるとすっきりするような気がする。新聞社ベースでの反省や、報道としての志云々ってものではなく。当然文化など語れるはずもなく。

承認アカウントで所属媒体を明記した上であのような活動が繰り返されると「あの媒体はあのような行為を繰り返す構成員の存在を容認し、注意指導しないところなのだな」と認識される。その上で、該当媒体を購入し続ける方が増えると......良いのだけどね。

新聞社内における何となくの雰囲気、上層部などからの肯定・否定の繰り返しによる選別化、同じような意図、方向性を持つ人たちが居心地の良い環境となるように、ふるまいを見せていく。前世紀における学生運動、東大紛争の際の過激派グループがそうなったように、新聞記者の先鋭化が進んでいるとの観点は、組織論としては十分ありがちなお話なのだろう。そこまで余裕が無い状況ってことになるのだろうけど。

効率化、リストラ、あるいは進化とでも呼ぶべきなのか。「新聞記者たるもの、尖っていなければ」との主張は理解できるけど、鉛筆ならば先端の芯の部分(報道としての本質)ではなく、握る本体の木材の部分とか、反対のお尻の部分が尖っている感じにしか見えない。「尖る場所、そこじゃない」みたいな。

で、その組織論の進化過程における先鋭化の結果として以外に、「その発想は無かったわ」的な指摘が。


特に最後の部分。新聞記者、特に朝日や毎日の「暴走」が目立つのは、これまでの「記者当人がたずさわる新聞媒体(あるいはテレビ)だけを用いて情報収集をしている読者」向けの情報提示と同じスタイルで、不特定多数に向けた発信をしているから。つまりかの人たちにおける炎上事案となる書き込みは、「自分達を好いてくれる人『のみ』への発信」と無意識のうちに判断し、話している。ファン感謝イベントで、アイドルがファンに向けて語っているような。

つまり「やってる事、語っている内容・方向性はこれまでと変わらない、自らを好いている人のみへの情報発信」との感覚。だから「それはおかしい」「記者としての良識に欠けている」「その肩書を持つ者が公知するべき内容では無い」との指摘を受けても「なぜこれまでと同じようなことをしているだけなのに、そこまで怒られるのか」が分からない。ちょいと軸がずれる部分もあるけれど「井の中の蛙」状態。

日本では一般的な風習になっている、ちょっと風邪が流行るとマスク率がグンと高くなるけれど、海外で同じようなことをしたら首を傾げられる、みたいな感じ。

でもこれって、これまで新聞やテレビなどの従来型メディアが、繰り返し他の界隈、政治や企業関係者に対してやってきたことを、同じように指摘されているだけなんだよね。その肩書を持ち、利用しているのなら、公知の上では常に気を付けて意志発信をする必要がある。いや、それよりも状況はもっとタチが悪い。ソーシャルメディア上での発言は、基本的にオープンだからね。閉鎖された空間内で開催されている会合とか、イベントの中での語りではないのだから。

......となると、一部新聞記者をはじめとした、奇特な不規則発言は今後もさらに増えていくに違いない。同時に、それらの人達から構成される新聞とは、テレビとはといった、価値そのものへの疑問も一層大きなものとなっていくことだろう。

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このページは、不破雷蔵が2015年10月 2日 07:57に書いた記事です。

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