戦争反対と叫ぶ人ほど戦いを好むのはなぜだろう

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健康にこだわりすぎてかえって身体に過負荷を与えてしまう、「健康のためなら死んでも良い」的なジョーク話に近しいものがあるのだけど。先日のこの話でもそのジョークがジョークでなく、体現化した世の中に、「このピーな世界にようこそ」的な歌詞が脳内をかけめぐり、今の世界はラノベよりもラノベ化しているのかもなあ、と体感させられる次第。【1200人のジャーナリストなる権威の次は、1万1000人の学者たる権威による意見】でも覚えた雰囲気なんだけど、ぼくたちのかんがえるさいきょうのせかいのためには、どのようなぼうりょくもこうていされるんだ、的な感がある。ある意味、それこそが最大の好戦的行為であり、非民主主義的行動に違いないのだけど。


指摘の通り、そのような選択肢のチョイスは、結局のところ自らが否定するものこそが、一番の有効な手立てであることを実証してしまっていることになる。内容的には他人を説法本でぶん殴りながら、「すべての隣人を愛しましょう」と語るようなもので、無茶苦茶、論理破綻に他ならない。

そもそもスターリンを知っている人がどれだけいるのか、というのが現状ではあるのだけと(ヒトラーはあれだけ用いられているのに、ね)、なにか肩書を前面に押し立てて集団化した上でなんちゃら宣言やらふんたら声明などが出された場合、その内容と方向性、その集団の本質はしっかりと見極める必要がありそうだ。

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このページは、不破雷蔵が2015年9月28日 07:20に書いた記事です。

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