明らかに作りものだと分かると脳内補完できるけど...「不気味の谷」と「人形劇の山」という言葉

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先日ツイッター上で回ってきた、ちょっと気になるお話。後程説明するけど「不気味の谷」はともかく「人形劇の山」ってのは学術的には存在しない言い回しで、いわゆる造語。また論理体系的に裏付けされたものでも研究されたものでもないけれど、納得できる部分はある。

「人形劇の山」ってのは要するに、最初から「これはフェイクだ」との認識がしっかりと成されていると、人は脳内で補完してしまい、それらしさを覚え、純に楽しめるというもの。観光地で見かける、首を突っ込んでなり切りをする立て看板が良い例かな。あるいは教養番組などで良く見かける人形劇。

ゲームの類は端末の機能自身の問題から、これを利用せざるを得なかった......というか結果としてそうなった、弱点が逆に功を奏した形ではあったのだけど、性能がアップするにつれてこの効用が無くなってしまった。厳密にはそういうものもある。機能向上でリアル化することにより、じわりと響くものが増えたってのも当然あるからね。


元ネタとなった「不気味の谷現象」も賛否両論あるけれど、納得できる部分も少なくない。蝋人形とかを思い返せば分かるかな。あるいは絵を描ける人は実体験として認識しているかもしれない。リアルを目指し過ぎるとかえって違和感を覚えるとか。

まぁ、ロボットを人型化するか否かって......は色々と要素があって、例えばキリスト教界隈では神が人を創ったと伝承しているので、似たような行為を人自身が行うのはタブーだから人型のものを作るのは忌避される、という話を聞いたことがある。どこまで本当かは分からないけれど。

ともあれ、「人形劇の山」ってのは興味深い考え方ではある。家庭用ゲーム機の性能がアップしてリアル差は増していることに違いないけれど、違和感を覚える機会も増えてきた、中途半端なリアルなのでかえって目立つのも、これで説明できそうな気がする。

これ、先日の本家サイトで取り上げたロボット周りの話とも絡んでくるんだよね。結局人を支える、人が使うためにロボットが必要である以上、人がどのような認識をするかってことは、もっとよく考えた方がいいような気がする。

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このページは、不破雷蔵が2015年8月31日 06:29に書いた記事です。

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