分からないこと、考えたり調べたりすること、教えてもらうこと、その境界線

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インターネットスラングの一つに「教えて君」というのがある。何から何までいちいち質問をしてくる人のことで、「自分で考える・調べることをしない、面倒くさがり」との意味もあるし、閉鎖的なコミュニティの中でのみ認識されているキーワードに関して第三者が尋ねた際に「こんな当たり前の事を聞くとは」と蔑視する状況、つまり閉じた情報環境(特に趣味系)における排他性を揶揄する際に使われる。大よそ前者の使い方が多いけれど。

指摘の通り子供は何かと質問をしてくる。これは理由があって、まず自分で考えるための基礎知識、方法論の備えが足りない、思考能力が大人と比べて低い、そして正しい情報を得るための手段を知らない、大人に絶対の信頼を寄せ、自分で考える結果よりも大人に教えてもらった情報の方が正しい、あるいは生存確率が上がるとの認識があるから。

しかし同じようなことを、情報も知識も豊富に持ち、経験を有し、精査能力も備えている大人がやってしまえば、単に自分自身の手間暇を惜しんでいるようにしか見えない......と思われても仕方がない(企業などにおける新卒やビギナーの質問は、むしろ子供のような状況にあると思ってよい。企業内に完璧なガイダンスのマニュアルがあれば話は別だけど)。


大人になって精査能力を身に着けると、調べたり、考えたりすること自体が大きな経験になる。何でも聞くだけで自分で考えずに動いていたのでは、単なるロボットと何ら変わりはないのだな。ちなみに「イヤーノート」とは医学方面の辞書みたいなもの......というか国家試験対策向けの赤本。

まぁ、分からないことに対して、自分で考えたり調べたり仮説を立てた上で色々と検証するばかりではいくらリソースがあっても足りないので、教えを乞うのも一つの手立てではあるけれど、その境界線をしっかりと自分自身で線引きしておかないと、周囲からはうざったがられるし、自分自身で身に着けられることが非常に少なくなってしまう。「他人から教えてもらったこと」と「自分で調べて、暗記して、確認して分かったこと」とは、習得度、記憶度は段違いだからね。そもそも記憶ってのは、さまざまなプロセスを経た方が、脳内に刻まれやすいものだから。

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このページは、不破雷蔵が2015年8月22日 06:46に書いた記事です。

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