学者は政権へのスタンスで自分の専門分野に係わる言及をしてはいけない

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震災後の放射線周りの話や、昨今の安保法案関連で突如桁違いに沸いてきた感の強い「学者」的なものの権限に係わる話。先行記事でも似たような話をしているし、類似事案は何度となく触れてはいるのだけど、学者は基本的に自分自身の分野に関する一家言は有していても、その刀を他方面に振りかざしてはいけない。専用のコースでのみ走る事を義務付けられているF1カーが公道で走ったり、狩猟地域でのみ許可されている猟銃を市街でぶっ放すようなもの。

放射線周りではそれっぽい方面の肩書を持つ(良く調べるとその方面ですらつまみ者的な扱いの場合もある)人達が、その領域を超えて人々を煽動し、ふところを温めている。安保法案絡みでもこれまで何も仕事をしてこなかったと突っ込まれても仕方のない学者先生諸氏の少なからずが、突然よみがえったゾンビのような躍動感と共に、政治的活動を相次ぎ行っている。先行記事に挙げたように、一次ソースも読まずに煽動内容に惑わされて声を挙げる、各方面の方々が相次いでいる。


無自覚なのか、あるいは意識を持った上での行動なのか。どちらにしても考慮が浅いというか迂闊な感は否めない。状況が終わった後、自分達の評価がどのようなものになるのか、考えてみたことはあるのだろうか。そこには該当学問の専門家という肩書は半ば剥げ落ち、政治策謀に翻弄され、自らの専門分野ですら武器として用いる活動家......と認識されても仕方がない経歴が残るというのに。あるいはそのような状況にすら、酔っているのかもしれない。マッカーシー政策に反対した文化人たちと同じような立ち位置に、自分達があると誤認しているのだろうか。


何度となく言及しているけれど、結局これなんだよねえ。先の震災以降、これに該当する「専門家」がどれだけ暴露されたことやら。

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このページは、不破雷蔵が2015年8月 6日 08:03に書いた記事です。

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