魚の解剖と大人が「無駄だ」と思ったものと成長の芽を摘み取る行為と

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子供の教育はケースバイケースで、しかも保護者のポリシーやら信念やらがあるので、これが正しい、間違いとの確定を行うわけにはいかないのだけれど。同時に「もし自分がこんな立場の子供だったらどうだったのだろうか」と思うと胸が痛くなるってパターンも少なくない。何しろ子供の時間は一度きり。後になって悔やんでやり直したくても、できるものではない。

当方はといえば実験は大好きだったけれど、生物の取扱いは極度に苦手で、親からも「医者になるのは無理だ」とせせら笑われたことは覚えている。魚介類を食べるのが苦手、肉類も生系はダメってのも、それが遠因なのかも。

それはともかくとして。子供の好奇心ってのはそれぞれの個性に端を発するものだから、むやみやたらと親の基準でざっくりと切り取ってしまったり摘んでしまうと、個性そのものが損なわれてしまいかねない。確かに親の目から見れば魚の解剖は受験にはでてこないし、野蛮に見えるかもしれない。しかしそれだけの理由で排除してしまうと、どのような事態になるのか。良い一例という気はする。あくまでも一例であって、これがテンプレってわけではないけれど。むしろ今件は、親側の思慮というか情報領域が狭かったような気がする。


以前どこかで触れたかな。教育ってのはいわば長期投資のようなもので、結果が見出しにくいし、これをやれば必ず成功するって方程式も存在しない。だから人は得てして、目に見えやすい結果が得られるもの、子供の教育ならば数字で比較ができるテストの成績を基準にしてしまう。短期間に成果が出るものを選んでしまう。その方が、親にとっては安心ができるから。

ゲームのクリアや優位性を欲するがために裏技的な話を聞きたがるってのは、子育てにおいても同様ではあるのだけど、得てして「優秀な子供」を親は求めていたりする。違うよね、必要なのは「優秀な大人」になることだよね。「子供」とした時点で、子供のためではなく、その子供を持つ親自身のためであることが暴露されてしまう。

そして「優秀」ってなんだろう、という定義づけの問題になる。親の言うことを聞く存在? 博士や大臣? それとも単に親自身が周囲に自慢できるような人物? いずれも子供の事が主眼としておかれていないよね。

子供は大人のおもちゃでもリモコンでもコピーでもない。人の道を外さないように、一般常識と良識を習得させるのと共に、子供の個性を見出し、それを守って育てることこそが、本当の親らしい親の姿ではないかな、と思うのは当方だけかしら。

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このページは、不破雷蔵が2015年7月22日 07:17に書いた記事です。

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