「キャラクターイラスト」なるものと、美術や大学といった学問的志向分野との境界線と

| コメント(0)


ぶっちゃけると漫画だろうとキャラクターイラストだろうと絵画だろうと浮世絵であろうと、絵には違いないのだけれど、ここ数十年の間に成長した分野であるキャラクターイラストや漫画などは、古くから存在して権威あるものとは仕切り分けがされていることが多い。ある意味では冷遇されている。ゲームというジャンルで仕切れば全部同じなのに、囲碁や将棋はむしろ称賛される部分もあるのに、ネットゲームなどは退廃的なものとして見られることが多い。まぁ、平均的な注力度の違いもあるのだけど(でも例えば将棋のプロにおける集中度は並大抵のものじゃないから、要は特定のラインを超えるためのハードルが低いって話なだけなんだよね)。


漫画なりキャラクターイラストにおいて、学術的な権威立てが少ない、無いに等しく、子供の遊び的認識が成されているのは、その方面での論理体系化がほとんどないのが一因ではないかな。裏付けされる研究論文的なものが無いので、個々の語り、意見で終わってしまう。だから本当は、傍から見れば変なもの、意味が無いモノ、当たり前のものと思われるものであっても、その時点では採算が取れないと言われても良いので、権威付けのための土台が必要。ある意味、例の国立メディア芸術総合センターがその一環となる可能性は十分にあったのだけどね。あの時、どんな揶揄がどのような筋からなされたかを思い起こせば、キャラクターイラストやら漫画やらアニメの今のポジションからのシフトを嫌う人たちの想いが、ある程度分かるはず。

「「大学で教えるなんて」という印象には、かならず「大学で教えるべきもの」が前提になっているはず」この指摘は非常に重要。恐らくはその考え直しの時点で、語り手側は自分の奥底に持つ偏見に気が付くはず。気が付かなければ、それまでの質しか持ち得ていない人物だった、というまでの話。

後半のpixivのランキングの話を読むに、結局デジタル化とネットの普及が、キャラクターイラストやら漫画やらの世界の可能性をグンと広げて化学反応的なものを引き起こして拡大化しているのだろうし、相性が元々よかったんだろうな、という感はある。そして権威云々って話もあるけど、先日流行りを見せた鳥獣戯画のコラージュツールでの作品を見ても、結局美術やこれまでの絵画などと真髄の部分に大きな違いは無く、表現方法が変わった・増えただけなんだろうな、という気がする。例えばおにぎりとおにぎらず、みたいな。

......あるいは「自撮り」なんてのも結局、真髄としては自画像と同じで、新しい環境の普及に伴い生まれてきた、新様式でしかないのかもなあ、と思ったりする。

関連記事             

コメントする

            
Powered by Movable Type 4.27-ja
Garbagenews.com

この記事について

このページは、不破雷蔵が2015年7月19日 08:37に書いた記事です。

ひとつ前の記事は「一般の人々の意見を正しいとして主張する報道に関する素朴な疑問」です。

次の記事は「TBS・報道特集での「戦艦『陸奥』謎の爆沈」とその闇に潜むモノ」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

* * * * * * * * * * * * * *


2021年6月

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30