新幹線の「事件」の話と安全性の問題

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先日発生した新幹線内の「事件」。報道内容云々はまた別にくくるとして、鉄道周りの技術的な話について、後で必要があれば精査する時の材料として。伝えられる限りでは、あの条件でどうしてあの程度の損失で済んだのか、疑問に感じていたんだけど......なるほど感のある解説。


安全は多様な経験と知恵の積み重ねで得られている。一朝一夕で成される、空から降ってくるものでは無い。インフラをはじめとした日常生活を支える物事は得てして、普段は見えない部分、過去からのつらなりの結果として生み出されている。それを改めて認識できる話。

本来ならば報道なりがこの類の話をして、不特定多数の読者に対して周知すべき様な事案ではあるんだけど......まぁ、それではインパクトが弱いしバッシングの際のエネルギーも得にくいので、容易な方向に走りやすいよね。

事件の内容そのものに関しては、容疑者自身が亡くなっているので事情聴取は不可能だから、今後は周辺各所からの捜査次第ということになる。一部衝動的なものか、計画的なものか、認知症の類のものか......事前に準備をしているわけだから、突発性のものではないのだろうけど。

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このページは、不破雷蔵が2015年7月 1日 07:35に書いた記事です。

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