感情移入は大切だけれど、それでかえって冷静な判断ができないこともある

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直前の記事【ネットは便利な情報検索ツールで山ほどの情報が手に入るようになったけど、それがすべてじゃない】ではネットの情報がすべてではない、現場の、リアルな情報も山ほどあって大切だよということを伝えたけれど、それとは似て非なる、共通点もある一方で、相反する部分もある話。例のアノ本に関するお話で、その本自身に関する当方の評価はさておき、今件の視点は非常に興味深い。

現場の、当時の状況や雰囲気を知ることは大切だけれど、リアルであるからこそ印象は強く、心に刻み込まれる。だからこそ一部報道では多くの人達に覚えてもらうという大義名分のもと、実名報道を振りかざす次第で。

ところがそのリアルさによる影響力が大きすぎると、冷静な判断にはマイナスに作用することも多い。例の「戦場ジャーナリスト」が良い例(これはむしろ悪用している事例だろうけど)。リアルな、現実の、雰囲気の香りをかぎ取っているだけに、その印象に呪縛されてしまうと表現すればいいのかな。感情論からすれば仕方ないのだけど、それは正解への歩みを邪魔させる可能性が高い。

この「リアルを知っているからこそ生じる、ノイズ化をもたらす逆フィルタ」、ぶっちゃけると「偏見」の類ってのは、例えば徴兵制云々をはじめとした軍事的なお話を一例に挙げても良くわかる。昔の様式がそのまま現在でもシフトしたかのような話が正論だとして主張される。「昔あったから今もあるかもしれない」。いや、昔と今とでは環境も全然違うのよ。前にも言ったかな、それこそ墾田永年私財法が過去に行われたので、また行われるかもしれないと語っているようなもの。

これは自戒の意味も込めて。


今件も、感情や当時の雰囲気に毒されない視点から出てきた、なるほど感のある分析......というか恐らくは、今件書籍の最大の問題点。ゴーストだろうと本人だろうと別人の妄想的な内容だろうと、それのどれが正しいのかは立証するすべがない。つまりいたこや背後霊が語る的な内容の本を、当事者が書いたと断じて販売しても良いということになってしまう。

見方を変えれば書籍そのもののへの信頼性が著しく損なわれる。これがアリなら、これまでの書籍だって、同じような可能性はあるんじゃない? と疑われてしまう。ある意味今件書籍は、超えちゃいけないガイドラインを堂々と超えてしまったわけだ。表現の自由やらなんやらと肯定する向きもあるけれど、この指摘にはどのような解消法があるのかねえ。気になる話ではある。

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この記事について

このページは、不破雷蔵が2015年6月23日 08:09に書いた記事です。

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