昨今の社会問題とリソースの分配の不公平感、そしてゲームで学ぶ数量的感覚

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社会保障や医療問題、財政問題やら景況感の話など、多くの社会問題ってのは、つまるところリソースの分配の仕切り分け方の不公平感にある。一つのケーキを分ける時に、切り方がいびつだったり上の飾りの分配の仕方が偏っていたら、やっぱり文句は出る。同じ牛丼を頼んだのに、自分の丼には隣の人の牛丼の半分ぐらいしか肉が入っておらず、玉ねぎがぎっしりだったら、そりゃ怒りたくもなる。学校給食でカレーを配膳する時に、配分の仕方を間違えて、後ろの方では前の人の半分ぐらいしかスープが無く、具だらけだったら、教室内闘争が生じるかもしれない。

そして社会問題が語られる際には、このリソースの分配とか、社会全体の総量の切り分けとか、再生産による増幅のような基本的な概念がぽっかり抜けている感が強い。あるいはむしろそれをある程度認識した上で、「俺様がたくさん食えればそれでいい」的な自己欲求が強く出ているのかもしれない。


社会リソースの概念や、消費に対してどれだけ新たな生産物が発生しうるか(弾性値みたいなものだな)とか、期待値の計算も合わせ、その辺の数量的なものの考え方が足りていない人が多い気がする。

その点、各種ゲーム、特に数字的要素の多いものは、その感覚を身に着ける上では良い教材となる気がする。ゲームってのは日本ではとかく小ばかにされがちな言い回しで、実際軽んじられる傾向があるけれど、海外で経済的な感覚や商売の実際を学ばせるために行わせると言われている、スタンドでのレモネード販売の実地訓練だってゲームには違いない。文化祭での模擬店もしかり。それこそ同人誌の制作と販売......というか頒布も似たようなもの。


この後色々とゲームが羅列されたわけだけど、多分にネタ的なところがあるのでそれは省略。素材は探せばいくらでもある。それを運用する、うまく活かせるか否かの方が問題かな。未だにゲームというだけで敵視する人達は少なくないからね。


昔のフォードの「自社社員が自社商品を買えるような位の給金を」ってのが好例。結局、支払われたお金はどこにいくのか、自分の損は誰かの得になる、全員が損をすることは無いとか、大局観的な経済の見方ができるかってのが問題。円安のメリットの一つ、国内でお金がぐるぐる回るし、雇用も増えるってのも、一歩引いたリソースの循環の観点からは当然の話ではあるんだけど。

もちろん現在の企業は業務が細分・分散しており、自社従業員が自社商品を購入することは無い、あまり買わないって事例も多々ある。自社従業員の収入を増やしても、そのまま自社商品の購買につながらない方が多い。でも、すべての企業が同じことを考えると、結局どこも従業員の購買力など関係ないから配分は最小限でいいやってことになり、他社が考えている「いいや」で自社商品が買われなくなる。一社一社の影響力は小さいけれど、それが多数同じ方向を向くと、結局皆が影響を受けるようになる。選挙の一票と同じだね。

この辺りも経済系の要素を多分に含むゲームで遊んでいれば、肌身で認識できるはずなんだけどね。

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このページは、不破雷蔵が2015年6月20日 08:32に書いた記事です。

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