「若者は柔軟性が欠ける、言われたことしかしない」というけれど

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先日の【ミスは必ず発生するとの前提で物事を考える、さもなくば破たんする】にもあるように、日本年金機構のトラブルに絡み、ヒューマンエラーの話につながり、それが若年層の柔軟性の欠乏に見えるような動きに話が展開している昨今。...ではあるのだけど、それってモノの見方の一局面でしかないのだよね。なぜそのように見える行動性向が見られるのか、そこまで考えねばならない。その視点にまつわる話。


今件はあくまでも看護師に係わる事例で語られているけれど、それに限らず全般的にも言えること。全体を一度に一定水準にまで押し上げるには、決まったルールに従うことを教えるのが一番面倒がない。個々のイレギュラー的な動きに対応していては、いくらリソースがあっても足りない。一方で、その簡便さに惚れこんで、すべてをそれに任せてしまうと、それこそ焼きまんじゅうか何かの量産工場状態となる。あるいは卵の選別工場でも良い。ちょっと基準から外れると、すぐに除外=社会の流れから外される。そのリスクを考えると、とてもじゃないけど、レールの上に乗ってただ先に進む以外のことは出来なくなる。

基本は応用やトライ&エラーを正しく行うためには欠かせないものだけれど、全部が全部基本だけでは、判を押したような造形しか生まれない。


現場で実体験して失敗から学んでもらえれば一番なのだけれど、それではゴロゴロ屍が出来てしまう。そこで、人は過去の経験を情報化して学びとるという知恵を得たわけだ。もちろん他人の経験を情報として習得しても、それは自分自身の経験による習得と比べれば随分と薄いものになるけれど、ゼロよりははるかにリスクを低減できる。

そしてこれは防災と減災の話につながるのだけど、どうも色々な方面で、All or Nothing、
ゼロか一か、防災的な話が先行してしまい、リスクが体現化したあとの対応がおろそかになっている感はある。いや、下手するとリスクの体現した時の状況と対応などを考察しようものなら「リスク体現を前提としているのか」とノイジークレーマーが棒を振り回して殴りかかってくる。思い当たる節はあちこちにあるでしょ? 要はダメージコントロールを良しとしない風潮が形成されている。これでは失敗した時の採るべき選択が上手くできなくても仕方がない。だって学んでいないのだから、なにしろ学ばせてくれないのだから。

まぁ、この辺りは民族性......というか社会性の部分もあるんだろうけど。減災、ダメコン、リスクコントロール的な発想、例えば期待値計算とかを、概念レベルから学ばせる・学ぶ必要が
あるのではないかな。そして、どのような状況でも一定率で存在する、「ダメコンなど不遜だ、失敗を前提とする考え方などふとどきだ」とする傍論に、「ふとどきはお前だ」と反論出来て、抑え込める環境づくりが必要なのだろう。

「若者は柔軟性が欠ける、言われたことしかしない」との揶揄も、それを語る人たち自身の責任が多分にあること。それを知ってもらうのが一番最初に求めれることなんだろう。

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このページは、不破雷蔵が2015年6月 7日 06:54に書いた記事です。

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