交渉術と、「怒ったことで語られる言葉が本音だとしても、それはその人の心情、本質のすべてを示した本音なのだろうか」という話

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先日の国会内での発言問題と、それを伝える朝日新聞の文面。それぞれについて色々ともにょるところがあったけれど、そのものの精査はさておくとして。これらの話から色々と思ったことを。

これらのやり取りなり伝え方を交渉術だから、報道の手法だから仕方がない、むしろ賛美すべきだとの意見もある。一部の報道記者にも見受けられる、そして何度か言及した記憶もあるのだけれど(【「誠意を尽くしても分からないものは排除してしまえ」と戦争行為の境界線】とかね)、「相手を怒らせて感情を高ぶらせて語らせれば、それは本音だから、本音を引き出した者の勝ち」っての、おかしな考えでは無いのかな。それを交渉術として肯定する人に対し、どれだけの人が信頼を寄せるのだろうか。

怒ったことで語られる言葉が本音だとしても、それはその人の心情、本質のすべてを示した本音なのかな、と。その一部に過ぎないであろう部分を「本質だ、実体だ」と評されるのはどうなんだろうなあ、と。

「膝蓋腱反射」ってのは生理的現象の一つみたいなもので、「太い骨格筋につながる腱を、筋が弛緩した状態で軽く伸ばし、ハンマーで叩く。すると、一瞬遅れて筋が不随意に収縮する」というもの。確かにそれに近いものがあるのかもしれない。


今件トリガー的な話は国会議員だけれど、新聞記者にもそのような事案は確かにある......というか報道全般か。テレビにおけるニュース報道の芸能化の背景に、報道部局と芸能部局における人材のミックス化があるという話をしたけれど、それも一因かもしれない。数不足、質不足による平坦化で、ますます全体的な劣化が進む。


直上の「誠意を尽くしても分からないものは排除してしまえ」云々でも触れたけれど、各種挙動に関して、それがさまざまな媒体でリアルに伝えられることで、周囲が賛美称賛してくれると思っているのだとすれば、それはそれで質の劣化が著しいのを認識する必要があるのかもしれない。あるいは宗教的なスパイラルにはまりこんで、羞恥心すらかなぐりすてられる状態にあるとか。指摘の通り、メディア側がしっかりと実情を伝えていれば、それが恥ずかしい行為であることが周知され、やるべきでは無いなという自制が働くはずなんだけどね。

冒頭の「やりとり」に戻るけど。あれを交渉術として評価するのなら、その評価自身微妙に軸がずれているとしか思えない。交渉術の手法としては存在するかもしれないけれど、その使い手に、使う状況に誠意が無ければ、その交渉術は単なる嫌味の体現化でしかない。そして誠意の無い交渉術を武器のように振り回していると、必ず同じような目に他人からあわされる。それを果たして、かの人たちは認識してるのだろうか。

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このページは、不破雷蔵が2015年6月 1日 07:20に書いた記事です。

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