子供への叱り方と子供の価値と

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子供への行儀作法へのしつけ方法として定期的にネタとして挙がってくる、「他人が叱るからしてはいけない」と「やってはいけないことだからしてはいけない」の話。最近では「保護者自身が叱っても言うことを聞かないから、第三者がしかると伝えることで強要させるのでは」との見解もあり、それはそれで保護者として失格だろうというツッコミをしたくもなるのだろうってのはともかくとして。

声掛け事案の件とかもあり、第三者が注意をするという行為そのものが稀有的なもので普通はありえない、注意をするのも問題行為として受け止められかねない的な風潮が、確かに以前と比べると高まっているような気はする。個の尊重、リスク軽減、子供は大人がちょっかいを出さずのびのびと育てるべきとの意見もあるだろうけど、どうも色々と考えさせられる。


確かに昭和以前の......というかもうアレだ、高度経済成長期より前の各時代における、社会における子育ての構造というか、社会が子供をどのように見つめ、位置づけ、接していたかってのは、社会学全体的な話になるので、本格的な文献などを探さないと分からないのだろうな。一部は以前ちょっと触れた、神奈川県の公式チャネルなどに収録されていた、映像ニュースなどで推し量ることもできるのだろうけど。また、子供と接する大人側がどれだけ「大人」なのかってのもあるかもしれない。七五三とか「七つのお祝い」などのフレーズを見るに、【「あと何年生きられるか」が長くなる? ...「この子の七つのお祝いに」と数字が示す現実】でも解説しているけれど、子供の生存自身が難しかった時代は、大いに社会全体で保護したような雰囲気もあったのだけど。


時代の変化といえばそれまでだけど、常識と非常識、理と理不尽の曖昧な、グレーゾーンが浸透する状況下では、どちらに振れるかがつかみづらいし、どちらでも正しいように見えるので、色々と考えさせれられる。

まぁ、アレだ。第三者に危害が生じるような状況では、その影響を受ける側の損失を避けるため、という大義名分が生じるので、子供云々はさておき、制止することはできるのだけどね。相手が子供であろうと。

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このページは、不破雷蔵が2015年5月30日 07:14に書いた記事です。

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