ネットで、特にソーシャルメディアで知り合った人って、何だか対面の知り合いとは別の感覚があるよね

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これは情報伝達、例えば商品のおすすめ情報やお得なアイディアなどの情報の広がり方にもいえることではあるし、近しいところでは先日のレモンジーナの件でも触れたのだけど。インターネット、特にソーシャルメディアは情報の共有と拡散が容易になってハードルが下がり、さらに他人、普通のやりとりなら手が届かないような相手との情報のやり取りが容易になったことから、情報に関するポテンシャルの使われ方が時間軸的に圧縮されている感じがする。

例えば5のポテンシャルがある情報に関して、普通なら時系列的には11111と広まっていくのに、ネットの場合は最初に4の分だけ広まって、その後に1、そこでオシマイになる。ネット上の流行り廃りが熱しやすく冷めやすいってのは、まさにそんな感じ。

だからネット上での付き合い(色々な意味で)も、通常の人同士の付き合いのように、長期間に渡るものを維持するのは、案外難しい。見方を変えればそのようなことができるってのは、よほど相性が良いことになる。そのような人がいたら、その出会いが出来た幸運に感謝をすべきなんだろう。


一方でこんな話もある。ハードルが低くなり、アプローチが容易になると、接すること自身が気軽になる。父母兄弟や親せきとツイッターやLINEで連絡を取り合うようになったら、途端に親近感がモリモリ増加したってのは良く聞く話。これは上記の例なら、情報伝達...というか関係維持のポテンシャルで5というリミットが無く、一定の値が(肉親などといったベース部分の信頼に基づくことから)常時補充されるため、ハードルが低いことで常に維持されることを意味する。蛇口をちょっとだけひねって、ちょろちょろと常に水が流れているような状態かな。

連絡の頻度が短くなる、つまり自分が相手を意識出来、相手も自分を意識してもらえる機会が増えれば、それがたとえどんなツールを用いたとしても、親近感は維持、そして補強されることになる。毎年お盆の集まりで顔を合わせる程度の親族と、ツイッター上でしばしばやりとりする親族とでは、どちらが身近に感じるだろうか。恐らくは「ネットでやりとり始めたら、今までとはなんだか別次元の存在になったな」という経験をした人も多いはず。もちろん指摘のように逆のパターン、ネットからリアルでさらに自分の中における立ち位置が強化したって人も多いだろうけど。

直接相対、そして電話や手紙とは別次元のネット上、特にソーシャルメディアにおける交流。恐らくは人類史上いまだかつてない、状況、環境に置かれていることになる。色々と試行錯誤は続くだろうし、問題も生じてくるのには近いないけれど、それらを経て人は変わっていくのだろうなあ、というじわり感を覚えるのは当方だけではあるまい。

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このページは、不破雷蔵が2015年5月20日 07:33に書いた記事です。

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