「お金より大事なものがある」が信用できない実情

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先行する学校教育でのお金周りの話と絡む内容ではあるのだけど。公共的意味合いのある事象に対しては特にその傾向が強い、「お金より大切なものがある」という言い回し。ケースバイケースではあるのだけど、往々にしてこの言葉が使われる場合ってのは、都合の良い解釈がなされてしまう。「お金より大切なものがある」「だからお金は払わなくてもいいよね、安くてもいいよね」的な。

ここ1、2年語られるようになった「脱成長論」でも見られる傾向だけど、このような語りを積極的に口に出すサイドってのは結構な割合で当事者自身はお金に困ったことが無かったりする。
「衣食足りて礼節を知る」ってのは、まず最初に衣食が足りるという前提があるのだよ、と。


この「人の善意を前面に押し出す手法」の問題点は、それが正当化されているように見えてしまうこと。断ると逆に何か悪いような雰囲気を当事者にも周辺にも覚えさせてしまうこと。無限の額面を持つオールマイティカードのような振る舞いをしてしまう。

お金ってのは数量化できる、数字として比較ができる物差しの事。その物差しを使わずに何かを判断しても良いのは、それによって「ぶれ」が生じる余裕がある時だけ。そして一度その「ぶれ」を悪用されると、じわりと確実に、その傷口は広がっていくのだよね。以前解説した「オマケ」と「値引き」の話にも共通する部分があるかな。

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このページは、不破雷蔵が2015年5月17日 09:18に書いた記事です。

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