お金の概念、経済観念はとても大切だよね、義務教育から是非ともという話

| コメント(0)


どこまで歴史をさかのぼれば良いのか、あるいはもっと社会学的な話なのかもしれないけれど、どうも「お金ってのは汚い、少なくともキレイでは無い」的な概念が、日本の中には相応に浸透しているらしい。「お金の話なんてするなよな」的な言い回しが、ごく普通に飛び交う状況を思い返せば、容易に理解は出来る。

でもお金って、結局色々な物事、形になるもの・なっていないものの代替手段であり、物差しであり、蓄積できる便利ツールでもある。お金がどのようなものなのか、その概念を把握し、理解し、日常生活において物差しの一つとして取り込むことは、決して悪いことでは無い。お金はすべてではないけれど、お金が無くては生きていけない。そして「すべてではない」ってことは「大体は代替できる」ってことをも意味する。シャレでは無いよ。

数字そのものの取扱いは算数・数学に該当するし、あるいは道徳的なものにも一部被るのだろうけど、金融学的なものを義務教育の段階で組み込むことは、案外重要な話なのかもしれない。教育課程が増えるからイヤだ、なんていう反対派も出てくるだろうけど。


ちょいと話はそれるかもしれないけれど、これも経済概念の上では欠かせない話。リスク分散的なものね。一方面の観念、つまりある特定の切り口における効率化の上では、統一化した方が良い。収益性が一番で無いものは淘汰された方が良いってことになる。

で、問題なのは淘汰されて残った勝ち組が、ずっとその状態を維持するとは限らないってこと。多様化が無くなり画一化が起きると、効率性は高まるけれど状況的に閉塞してしまい、かえってリスクは高くなる。当方の身近な例でも、個人経営のお店や類似の100均ショップなどを駆逐したローソン100があちこちにできまくった後、ローソン側の方針転換でローソン100がいきなり続々と閉店してしまって、当方自身も含め、周辺の住民は結構難儀するって感じ。

もっと分かりやすい例では生物の進化かな。環境への適応が極端すぎると、ちょっとした変化に対応できなくなってしまうってもの。だから多様化は、一歩引いた際の保険的なものとなる。要はリスク分散の考え方。あとは進化の際の袋小路を避ける意味合いもある。


学校内での仮想通貨というと以前【オモシロ真面目な「貿易ゲーム」って何だろう】で紹介した「貿易ゲーム」なるものが思い出される。これは特定時間内だけの縛りがあるけれど、それを学校内生活で継続的に利用させようというもの。

これ、色々と前提となる仕組みを作るのが難しい(実際のお金を使うと色々と問題が生じるのでアウト)。とはいえ、色々な複合効果をもたらすことが期待できる。例えば仮想通貨を偽造する人も出てくるはずで、そのような場合、どんなトラブルが生じ得るのか、それを防ぐためにはどのような仕組みが求められるのか。あるいは他人の仮想通貨を奪い取ろうとする動きもあるかもしれない。それが成されないような仕組みはどう構築すべきか、罰則を設けるべきか、善意に任せるべきか。学年別に仮想通貨の種類を変えて、為替的な概念も登場させても良いかもしれない。「3コインで掃除代わります」的なアルバイトのようなものも登場する可能性もある。

お金の概念は資本主義社会においては社会の根幹に当たるもの。それを取り込むことで、色々な社会の問題点やルールが疑似的に登場し、求められ、経験できる機会が生じることになる。大人になってから「そんなの知らなかったヨ」と恥をかいたり損をするリスクが減るだけでも、大きな効用じゃないのかな。

関連記事             

コメントする

            
Powered by Movable Type 4.27-ja
Garbagenews.com

この記事について

このページは、不破雷蔵が2015年5月17日 09:13に書いた記事です。

ひとつ前の記事は「原稿を一晩寝かせて熟成するのは原稿自身では無くて」です。

次の記事は「戦場ジャーナリストな方とコスタリカに関する覚え書き」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

* * * * * * * * * * * * * *


2021年6月

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30