「足るを知れ」は足る状態になってから言えること

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昨年ちょいと流行った「脱成長論」周りの騒動でも顕著に表れているのだけど、自らの足場を固めて、将来の心配が無くなった方が悟り的なものを開くのは良いとしても、それを同じ環境に無い他人に押し付けるって論説が繰り返し一定のサイドから行われている。多分に「将来のためにタネをまいても自分達はその収穫にあずかれることはないから、その種も食わせるべき」ってのがあるんだろう。それって生物学的には終っているんだけどね。

以前の選挙周りであれだけ問題視されていたにも関わらず、再びこのような話が記事として出てくるのは、やはり統一地方選挙に絡んで色々とイメージを...っていう意図が当人にも媒体側にもあるんだろうなあ、と想いながら、記事自身とそれに対する指摘のツイートを読んだりする。

確かに指摘の通りで、「足るを知る それそのものが できてない」ってのが現状なんだけどね。語っている細川先生と同じような状況に、すべての人が成ってから、はじめてその主張をすべきでは、という感じ。


指摘には結構なるほど感......というよりは、「その発想はなかったわ」的な驚きを覚えさせられた。お金=政治=利権=悪のような図式で、治世者はその逆であるべき、それがキレイで尊敬されるような、そんなイメージ。卵とニワトリの関係じゃ無いけれど、お金を稼ぐこと、厳密には「自分以外が」お金を得る事への嫌悪感ってのも大きくかかわってくるのかもしれない。自分自身がお金を得る事に嫌悪を覚える場合もあるけど、他人が取得した時ほどのものじゃない。

「みんな貧乏が悪いんや」という言葉があるけれど、お金の意義、価値を考え直せば分かる通り、経済が良くなれば多くの問題は解決する。お金は多様な物品、サービスの置換された状態だからね。それに溺れないような注意は必要だけれど、それは溺れるような状態になる時に考えれば良い。干ばつの時に水害の事を心配するのは合理的では無い。優先順位は後回しで良い。


お金への嫌悪感、奇妙な清貧優越感ってのは、情報を伝播し、ある意味啓蒙する立場にある報道にも責任がある。これも指摘の通り。まぁ昨今は経済に限った話ではないけれど、「分かりやすさと正しさは別物」を地で行くような話が相次いでいるし、世間の流れや体制や常識に逆らえば注目されるしカッコイイと思うって感じの厨二病的な発想がそのまま大人になってメディアが構成されている雰囲気がある。

経済に限っても、そんなにお金が無いのが好ましいのなら、まずは各新聞社の利益をすべて慈善団体に吐き出させればいいと思うのだけどね。少なくとも、もう少し各方面での勉強はしてほしいと思うんだな。いくら分かりやすい、注目を集めやすいからといって、意図を違えたり、間違っているのでは、報じる意味が無い。それどころか有害なんだけどね。

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このページは、不破雷蔵が2015年4月 6日 06:58に書いた記事です。

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