mixi疲れとかLINE疲れとかTwitter疲れって要は自己ルールの押し付けられで起きるのかな

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mixiが全盛期のころ流行った言葉に「mixi疲れ」ってのがある。今でもあると思うけど。要はmixiの色々な機能、例えば足跡機能などで自分の行動に反応を示していない人がいると、それを無視したと思い込み、非難をしてくる人がいる。その非難への応対に疲れるし、それを避けるためにわざわざいちいち返事をしたり応対をしなきゃならないのにも疲れてしまう。24時間誰かから監視され、ボケに対してツッコミを求められるような、そんな状況に心がストレスを溜めこんでしまう。

で、昨今のコミュニケーションツールでは多かれ少なかれ、便宜性を優先して意思疎通が即時出来るような、そして相手が反応をしたか否かが分かるような機能が備わっている。その反応を巡り、mixiと同じような疲労状態が生じてしまう。Facebook疲れ、LINE疲れ、Twitter疲れ......

まぁ言葉のあや的なモノで、どれもこれもソーシャルメディアによって発生した、人同士の緊密感への対応が上手くできない、あるいは自己ルールを他人から押し付けられる形で生じるストレスによるもの。例えるなら近所の仕切り的おばさまが「毎日公園で井戸端会議しなきゃダメ、社会的常識」的なものを暗黙の了解的に押し付け、それに従うのも疲れるし、従わないのもいじめ的対応をされそうで疲れるし......という感じ。

でもどのサービスも、情報の提示をしているだけで、反応しなきゃいけませんなんていうルールは無い。反応を半ば強要するのは、強要する側の自己ルールの押し付けでしかない。したくなければ放置して良いし、反応が無いこと自身が反応なんだよ、という意思表示と解釈しても構わない。第一、例えばTwitterのようにリプライがたくさん来る可能性があるシステムでいちいち対応していたら、それこそ24時間戦っても間に合わなくなる。電子メール症候群みたいなものだ。


相手との親近感が他サービスよりも近い、それこそ電話やチャットと同じようなLINEでは、特にその圧迫感が強いのだろうな。上記指摘では「距離が近い」と表現しているけれど、まさにその通り。便利だけれど、振り回されると害も大きい。切れ味のよすぎる包丁みたいなもの。

疲れを覚えるような反応があったら、見なかったことにする、心の中で「返事をしないのも意思表示の一つなんだよ」とつぶやくのが良いのだろうな。

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このページは、不破雷蔵が2015年4月 6日 06:22に書いた記事です。

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