ネット上で人の「思惑」は残留し続けることになる、だから忘れる事が大切なのヨ

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「呪詛」というのは特定対象に向けたネガティブな意図、言葉のこと。ねたみとか恨みとかやっかみとか、そのあたり。まあ、言葉面から何となく意味合いは分かるだろうけど。直接言葉で語られたこの類の「意志」ってのは、その場で終わりになる。語られた当人には記憶に残るけれど、そのままの形では無い。そして心の中で反復されなければ、時の流れと共に薄れ、他のものに混じり行く。

ところがインターネットなどによりテキスト、さらには映像まで合わせてそのような意志が伝えられると、少々事情が変わってくる。不幸の手紙がずっと手元に残っていて、何度でも目の前に現れるような。それがどんどん積み重なる。まるで恐怖新聞が古新聞として残り続ける感じ。

インターネットは情報の蓄積と検索性による容易なサルベージ機能がメリットの一つ。でもその情報の内容がこの類の「意志」だとすると、やっかいなものとなる。人の都合の良い記憶の機能の一つ「都合の悪いことは忘れてしまう」が機能しなくなってしまうから。


情報の持つ「香り」が多すぎて嗅覚がパニックに陥る。面白い表現だと思うし、的を射ている。かつてmixi疲れなる言葉が流行ったけれど、結局それも今件のような「情報の過度性」に人の感覚が追い付けないってのが多分にあるのだろう。便利だけど、振り回されている、みたいな。


昨今のキュレーションサービスやらまとめサイトの問題も、単に楽をしたいってのも一因だけれど、あるいは別の理由として、「過剰な情報にさらされることのリスク」を無意識のうちに感じ、それを避けるための利用なのかも......と考えると、ふっとなるほど感。まぁ、ごく一部でなのだろうけど。むしろだからこそ、情報の精査集約をする人は、高いスキルと適切な判断が求められるのだけれどね。

それと「健忘は健康の源」。これ、すごくいいキャッチコピー。これからのネット社会では欠かせないフレーズになる、かもね。もちろん人に迷惑をかけないという意味での健忘であることは言うまでも無いけれどさ。

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このページは、不破雷蔵が2015年3月27日 06:49に書いた記事です。

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