「井の中のかわずでありたい」価値観の基準が広がると自分の持ち物がチープに見えてしまう瞬間

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ソーシャルゲームが流行った最大の理由は、世界観が広がり他人との時間の共有を体感できるから。スタンドアローンゲーム(一人プレイのゲーム)と比べると世界が非常に大きなものとなり、つながりを覚えさせられる。パソコン通信からインターネットへの飛躍みたいな感じ。

でもそれは逆に、価値観の相対性をも生み出す。限られた世界の中では満足のいくポジションにあった、優位性を覚える手元のおもちゃも、広い世界の中ではごく平凡なものでしかない事が分かる。しかもネットだから実世界のような距離感は無く、自分の目の前にそれが実在してしまう。すべてが相対化する、可視化される社会。

クラスで一番だった子供が、大学生になって上京したら、実は平々凡々でしかなかったことに気が付く。その時のショックに似ている。地元にいれば「結構頭の良い人」で通用していたのに、今じゃ単なる「普通の人」。

だからこそネットを早期から利用しているデジタルネイティブな人達は、そのような社会の中で没個性化を見出そうと、炎上騒ぎやコンテンツの盗用を積極的に行うのかもなあ、とも思ったりして。


つながりを重要視すればそこには価値観の共有が待ち受け、そして相対化が図られていく。競争心が煽られやすくなり、そこにはビジネスが容易に結び付けられる。上手い構造になっているわけだ。

まぁ、つながりそのものを求めて、価値観の共有・相対化に伴う競争心の煽り云々ってのはあまり関係が無いって人も少なからずいるのは確か。「ラグナロク・オンライン」におけるチャット的な使われ方が好例ではある。

ただこの「井の中の蛙でありたい」って価値観は結構重要な指摘かもしれない。その価値観と、ソーシャルゲームが本来有する「価値観の多人数間における共有と相対化」を両立できる仕組みが構築できれば......と思うのだけど。「ねこあつめ」はあるいは、それに近いソフトなのかな?

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このページは、不破雷蔵が2015年3月13日 07:13に書いた記事です。

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