アニメやゲームのグッズを着こなすことの意味を考える

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昔の社会文化というのはあまり語られる機会がないのだけれど、今件に限らずいつの世にでも特定の格好を見せてそれらしさを装ってみたり、雰囲気を楽しむという、今風に言えばコスプレ的な機運は存在する。「格好から入る」っていう言葉にもある通り、見た目による意識変革は心境にも大きな影響を与えることになるし、行動様式にも変化をもたらす。背広を着ると何だか気が引き締まるでしょ?

で、今件はそれを否定的......というか、揶揄する形での指摘が、昔も今も存在していたのだな、というお話。これはこれで第三者からの意見としてありうるってのは仕方がない。


一方でこんな指摘もある(最後はやや蛇足的なオチではあるけれど)。要は純粋な成り切り願望・自己陶酔的な顕示欲、成り切りの体現化と共に、第三者に向けたアピールであり、同族を探している事のシグナルでは無いのかという話。分からない人には分からないけれど、同好の士にはピンとくるものがある。ソーシャルメディアにおけるハッシュタグ的なものとか、特定の趣味趣向者向けの掲示板みたいなもの。あるいは蛍のお尻の部分の光みたいな感じかな。

そう考えるとキャラクタグッズの類やコスプレを披露するのって、その行動理由は理解できたりする。考えてみれば、昔、子供達の間で流行ったという、帽子に色々なバッジをつけて被るのって、そのバッジの内容で似たような趣味をしている人を求めているってのもあったのかもしれないし、ね。

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このページは、不破雷蔵が2015年3月 2日 07:29に書いた記事です。

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