勉強は自分の視野を広げるためにある。視野が狭いと......

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先日の本家サイトの記事【高校生の「将来の進路」を探る】でも触れたお話。勉強の機会は一生涯続くので学生時代に限った話ではないのだけれど、特に学生時代には勉学に関する意味を自問自答し、やもすれば「勉強したって意味ないじゃん」的な考えに至る場合もある。その時によく言われるのがこの話。あるいは「勉強をしてテストで良い点を取ると、人生の選択肢が増えるというご褒美をもらえる」とか「勉強をして得た知識や知恵がそのまま経験値となり、レベルアップにもつながるし、その経験値をスキルや武具の調達に割り振ることもできる。社会という『街の外』に出るまでに、どれだけ自分を鍛え上げるのかが重要だ」なんて話もある。ゲーム感覚的なイメージの方が分かりやすいかも。

まぁ「井の中の蛙、大海を知らず」ということわざがぴったりくるかな。先日、二次方程式など社会に出てから使わないから必要ない、との話がちまたでちょいと話題に登ったけれど「二次方程式が必要ない」状態だったのは語った人本人の場合でしかないし、「必要ない」という状況に至るには二次方程式そのものを知る必要があるわけで。


この解釈はなるほど感を覚えさせられた。スペシャリストの対義語にあたるジェネラリストではなく、すき間だらけの部分を「分からない」で埋めてしまうから、第三者から見れば論理的に破たんしてしまっているにも関わらず、自身からは「完成した逸品」に見えるので正当性を貫き、結果として陰謀論的な話になる。本当のジェネラリストは「浅く広く、そしてそれぞれの関連性を一歩引いて見極める」のだけれど、脳内補完の場合は浅く広くだけでなく、あちこちに穴が開いている状態。

勉強は大切。自分のすき間を埋める素材を手に入れておかないと、後で必要になった時にその素材の代わりに「あったと仮定した妄想」を当てはめてしまう。さらに酷いのになると、それを現実のものと誤認(本人は「認識」としか思っていない)し、その妄想に合わない現実こそが間違いだと判断して、現実を妄想とすり替える行動を正当化してしまう。「ここにこれがあるけれど、自分の頭の中の認識は別。だから目の前のこれは間違いだ」とする行動。一連のSTAP細胞周りの某女史の行動も、色々と出てきた話を総合するに、こんな感じだったんじゃないかな......。

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このページは、不破雷蔵が2015年2月22日 06:37に書いた記事です。

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