「本当なら私たち、治め(治められ)やすい民ですね♪♪」と意気揚々に語る大手新聞の在外特別編集委員とは

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従来型メディアに携わる上層部の、あるいは海外から第三者の視点でより公正な立場から日本を眺めてもらえる事を望まれているにもかかわらず、旧態依然の価値観に縛られ、現状を認識しかねている「意識が高い人たち」の実情は、目をつむっていてもそれこそしもやけのように突き刺さってくる。

先日も朝日新聞に所属するパリ在住の在外特別編集員な方が、このような形で経済情勢をディスっただけでなく、ダーイッシュ関連の用語も今なお問題視する言い回しで使い、社会批判をし、さらに日本人そのものをしいたげている。まさにはたから見れば「あなた、何様?」的な感じを覚えさせる。

これ、例えばお酒の席での口頭での発言なら「戯言だから、ははは」で済むのだけれどねえ。自己責任云々とは主張しているけれど、肩書を冠して普段使われている名前で語っている以上、それは公的発言であることを認識しなきゃならない。ツイッターとて情報の開示という点ではブログやサイトと同じ。LINEのようなチャットツールじゃない。


言いたいことは大体言ってくれた感。これが一介のオッチャンの話なら、「まーた馬鹿言ってるよ」で済むのだけれど。その背景に不特定多数にメディアを使って情報を配信することを職務としている報道陣の中でも、かなり地位が高い場にある人の話となれば別になる。たとえば企業の部長クラスの人が雑誌のインタビュー記事に今件と同じようなことを書いて掲載されたら、どのような騒ぎになるだろう。

自己責任だから、報道云々の肩書と関係ないから、と主張するのなら、別名でやればいい。肩書を公知しなければいい。肩書を記し、立場を明確にし、その上で都合の良い時だけ「自分のバックボーンは関係ない」とするのなら、それは単なるいい所取り、ダブスタでしかない。


まさにこんな感じ。

結局この指摘などを見ても、先日言及した「メディアの相対的パワーの変化」の実情に、そのメディアの現場が気が付いていないという現状が表れているような雰囲気が強い。"本当なら私たち、治め(治められ)やすい民ですね♪♪"など、知的な皮肉感のつもりで言及したのかもしれないけれど、逆にそれが仇になってしまっているという感は否めない。というより大手メディアの報道関係者が語るような内容ではないと思うのだな、そもそもとして。

今件とはちょいと外れるけど、先日「弁護士」の肩書を自称する人が公の場で労働組合(ユニオン)への加入を推奨したり、著作権絡みで不特定多数を不安に陥れつつ政策批判を行うなど、世間一般の「この肩書の人はエライ人で正しいことを語っている」という常識が音を立てて崩れていく様子を次々に見ている。

どの世界にもイレギュラー要素は存在するのだけれど、問題なのはそのイレギュラー要素の当事者が、自身をイレギュラーでは無く主体と自認している点にある。つくづく肩書や資格は多分に評価の一要素でしかなく、それ自身を傾注・信用の主対象としてはいけない時代になった気がする。重要なのはその人自身、対象となるグループそのもの。それこそが精査すべき物品。

......そうなると、例えば新聞は全部記名記事化した上で、読み手が選択した記者の記事のみ読める、最初は全部チェックが入っているけれど、この記者はダメだと思ったらチェックを外せる、なんて読み方が出来るような仕組みも必要になってくるんだろうな。さもなきゃ該当する新聞そのものを読まないという選択肢を取らざるを得ない気がする。

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このページは、不破雷蔵が2015年2月21日 08:02に書いた記事です。

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