倫理的か否かを判断するシンプルな方法

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「倫理」という言葉の定義は難しく、多種多様な表現方法があるけれど、集団行動を行う社会性を持つ人間が経験の蓄積によって得た、最大公約数的な益を得るための知恵だと考えている。それを守ることで、より多くの人が益を受け、益の総量が最大化するような、自然発生的なしきたり。それを破ると一部の人はより多くの益を受け取れるかもしれないけれど、それ以外の人は一層の損失を受けることになり、益の総量は減ってしまう。益の部分を富、幸せに代えても良い。

で、その仕組みが良くわかるのがこの解説。具体的にどの作品かは忘れてしまったけれど、究極のカンニングアイテムを手に入れた主人公が、それをクラスの皆に売ったか手渡したところ、クラス全員がそれを用いてしまい、誰もが自力で試験を解こうとしない状況となってしまう、当然皆が点数を得られないというオチがついた話を思い出した。米ソ冷戦時代の相互確実破壊と結びつける解釈もあったな。


倫理と、個人・社会全体の益や幸の総量の考えは多様な場面において、用いることで理解納得できる。今件指摘のように、食品偽装問題も然り。偽装してコストを削れることが良しとされるなら、多くの人がそれを手掛けてしまう(利益を得る事のみが目的とされているならば、だけど。実際にはそれは二の次で、本当に美味しいものを、良い品質のものを提供することを第一義的にする人もいる)。またブランドや表記に意味が無くなり、価値も無くなってしまう。

「倫理」や「社会的常識」ってのは、必要性があるから存在している。単に反発する対象としての存在では無い。考え直してみると、その存在理由を思い返してみると、なるほど感を覚えるに違いない。

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このページは、不破雷蔵が2015年2月 1日 08:01に書いた記事です。

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