「確率的に考えれば、同じ宝くじ売場で1等当選が出る確率は最も低くなるはずだ」「なにっ!?」

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事件が発生した場所で同じような事件が発生する確率は最も低く、1等当選宝くじが出た場所で、再び1等当選が出る確率は最も低い。これは統計的な事実であり、残念ながら感情論が入り込む余地はない。このことが解らないというのであれば、その人物は「私はロジカルシンキングができません」と言っているに等しい。

一見すると「なるほどなぁ......」と思うことがあるかもしれない。声高で論理的な考え方が出来ない人たちが多い、感情論が優先されるのでこの国はダメだ的な話が挙げられ、その上で別の事例を1項目別途設けて掲げ、自論の正当性を解説している。

......の、だが。

その自論の正当性を補強するべき別事例がぐだぐだで、「論理的思考が出来ないからダメだ」と主張している当事者が、一番論理的思考が出来ないという、笑うに笑えないオチがついてしまっている。今記事のタイトル、あるいは引用記事の中見出しなり引用部分なりを読み返してみればお分かりの通り、今件論調では「一度宝くじで当たりが出た場所は、再び当たりが出る確率は最も低い。これは統計的な事実」という話を「論理的思考」の具体例として挙げている。

え。

この類の確率論はよくサイコロの目で例えられるのだけど、例えば1回振って1が出た時に、次に再び1が出る確率はどれ位だろうか、というもの。直前に1が出たのだから、連続して1が出る確率は結構低くなるのでは? と思うかもしれないけれど、それは間違い。正解は単純に1/6でしかない。最初にサイコロを振った行為、出た結果は、2回目に振った際の結果には何の影響も及ぼさないからだ。これが例えば、サイコロを振る人に念動力があり、「さっき1が出たので次は1が出にくいように振ろう」という意図をサイコロに働かせることができれば話は別だけれど、それでは確率論云々の話にはならない。

宝くじも同じで、くじを販売する場所で当たりの量を調整しているわけではないから、それこそ連続して1等が出るかもしれない。「感情論が入り込む余地はない」のは事実ではあるけれど、「私はロジカルシンキングができません」は書き手自身のこととなってしまっている。かくして「これでは論理的思考が出来ていない」と語っている文章自身が論理的思考に基づかないものであるという、ある意味小噺的な、釣り的な内容となってしまっている次第。

蛇足になるが事件後に警備を強化するのは意味がある。関係者の心境的な問題として、事後対処を行い安寧を確保する。これが大きい。そして確率論的には事案を引き起こした対象が排除されたことで、その対象による事案は今後起きないことは明らかだが、それが環境によってもたらされたものであるのなら、類似事案を引き起こす別の対象が存在して、今件で排除された対象はたまたまその内の一人だったかもしれない。暗い夜道で痴漢被害が発生した場合、その被害を引き起こした加害者は唯一ひとりで、だれかが加害者として逮捕されたらその場では二度と似たような被害は生じない......わけではないのと同じ。

「こんな記事を書くと、またぞろ感情論者からのご批判を頂戴しそうだが、批判する前に、まず自分の頭で物事を考えることの重要性を冷静に考えていただきたいと思う」

自分の頭で考えて、その上で冷静に突っ込んでみました。現場からは以上です。

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このページは、不破雷蔵が2015年2月11日 08:17に書いた記事です。

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