「批判は実名で」は「責任を持て」。でもそれ実名で無くても出来るよね

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実名・匿名(ハンドル名)による論争に関しては以前にも何度か触れているけれど、大よそ指摘の通り「批判の類は実名でしなければいけない」という主張は、結局のところその主張に責任を紐付けできる担保があるか否かによるもの。何かあったら敵前逃亡してしまうのでは、反応するだけリソースの無駄になる、それは許しがたき、というものだろう。まるで無敵コマンド入力モードで戦っているようなもの......ということなのだけど、それは別に実名で無くても可能。要は責任を持てばよいという話(まぁ、不特定多数の一人としての匿名ってことなら、確かにすぐに逃げられるリスクはあるけど、長年使っているハンドルとかなら問題はない)。


この指摘には十分うなづける、そしてもやっとしていた部分がちょいとばかり晴れた感を覚えた。特に「批判は実名でするべし、とか言っちゃう実名の著名人の方々は、自身の発する批判に関しては、割と責任感なくやっちゃっているように思える」の部分。要は、責任を持つ部分を「自分は実名でやっているのだから、それですべて責任を担保している」と誤解し、肝心の語り部分に関する本当の責任を持たずに、「俺様ワールド」に浸ってるというもの。これでは責任そのものを感じるような言を期待できるはずはない。

無論、実名で語る著名な方すべてがすべてでは無く、むしろ少数派なのだろうけど、「実名で語ることですべて責任を果たしたかのような錯覚をしている、語りの内容が無責任な方々」、つまり「名前責任な人」が目立つから、かなりの割合に登っているように思えてしまう。

また、「修正したら負け病」の事由解説にも納得。根拠なく語るから、語りそのものが土台になり、それを修正したら自分の全部がひっくり返されたという認識にいたってしまう。自己否定的な? 自分の本質、土台があれば、そんなことは無いのにね。

......それに加えて。実名を語ると身バレのリスクがある。著名人はすでに色々な手法でプライベートが守られているからいいけれど、一般の人にはそれがない。その差は大きいよね。

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このページは、不破雷蔵が2015年1月 5日 06:48に書いた記事です。

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