宝くじで当たっても、自分で稼いでも1億円には違いない。けれど......

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お金は単なる数量的な物差し以外に、さまざまなサービスや物品、さらには時間軸ですら集約しうる代替手段であるというのが、お金・貨幣制度の根本にある機能の一つだと思っているので、当方は宝くじで当たろうが自分で稼ごうが1億円には違いなく、尊重すべきものであると思っている。宝くじで当たった1億円だって、それをどう使いこなすかによって、価値はいくらでも付加される。少なくとも蔑視したり、あぶく銭と蔑む必要は無い。

その一方で、自分の経験や時間の投入、さらには運や人脈などの結果として生み出されたお金であれば、単なる1億円以上の内包された価値がそこにはある。金額は1億円に違いないけれど、自分自身にとってはそれをいくらでもデコレーションできるさまざまなモノを別途得ていることになる。お金はそれらの成果で取得できた、物差しの一つでしかない。


同人誌の場合は多分に、厳密には販売では無くて頒布なんだけど(この辺は結構グレーゾーン)、自らの創作物に第三者が対価を提供してでも手に入れたいとの意思を表明し、価値を認めて、その意思通りに創作物を受け取り、対価を手渡してくれた経験は、非常に有意義なものとなる。アルバイトや実家の手伝いなどでも似たような経験は得られるけれど、同人誌にせよフィギュアにせよ、自分で作ったものに価値を見出す人がいて、その価値が現金に変わった事を実感できるってのは、まさに新たな世界が開ける感覚がある。

文化祭などの模擬店でも近い心境は得られるけれど、やはり「自分自身の創作物」ってところが大きいよね。あと、相手との直のやりとりによる手渡しってのも、リアルな体感としては貴重。昨今、同人誌即売会の初刷の話が色々と出ているけれど、その話が定期的に盛り上がるのは、イベントが近づいていたから云々って他に、この「お金の意味、価値」と「自らが得たもの、創りだしたもの」と関連が密接に絡んでいるからこそじゃないかな。だから皆、思い入れが深く、語りたくなる、と。

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このページは、不破雷蔵が2015年1月 4日 07:08に書いた記事です。

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