なぜオタク(文化)は一部知識人や文化人から糾弾されるのだろうか

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先日から一部の某過激な考えを持たれている方々による「オタクを取り込もうとしたけどなびいてくれないので気に食わないからバッシングの対象にする」という訳の分からない話から派生し、世間一般に言われるところの「オタク」と評されるような対象、文化、造形、所業が、なぜその認定を受けただけで非難中傷の対象になるのか、ちょいと理解しがたいところがあるのを思い起こした。

倫理的に問題がある、社会に仇なすような所業ならまだしも、趣味趣向の範ちゅうであれば特に問題はないはずなのに、なぜか侮蔑されてしまうことが多い。結局それって多分に、非難する側における判断基準となる「ものさし」の問題でしかないんじゃないかな、と。例えば盆栽に熱中している人を「オタク」とはまず呼ばないし、仮に呼んだとしても非難をされるようなことは無い。でもフィギュア、特にアニメや漫画系のものでは、多くの人がせせら笑い、汚いものを見ているかのような目で眺め、近寄りがたい反応を示す。

でもそのフィギュアだって、例えば国際的な評価を受けたり、著名人が絶賛したら、多分にその部分だけは「普段から非難する立場にいた人も」賛美に回るよね。少なくとも同じような誹謗中傷はしなくなる。


個人の「ものさし」による判断ってことなら、世間一般に「オタク」と呼ばれるもの以外にも、評価しがたいものは沢山ある。にも関わらずそれらは叩かれずに「オタク」なるものが批判の対象とされるのは、この部分、「どのみち反論などしてこないだろう」ってのがあるんだろうな。個人的な、異質のものに触れた時の嫌悪感に加え、サンドバック的な対象である事の認定。これが「オタク」を叩く本髄要素と考えれば、何となく納得が出来てしまう。

一つ加えるとすれば、「オタク」要素は多分に遊び、エンタメ方面であるのも一因かもしれない。日本人って遊びに対しては冷たい部分が多いからね。

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このページは、不破雷蔵が2014年12月24日 07:18に書いた記事です。

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