慈善行為をアピールするのは偽善じゃない

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先日の東京某所でのハロウィン騒ぎで、翌日の現場が山ほどのゴミで埋め尽くされる事態となり、それを拾って片づける人達がいた。で、その人たちが報告がてらにその状況を伝えたところ、わざわざアピールするな、それは偽善行為だ良くないことだ的なツッコミをしたことで、善意の行為って何だろう、社会の価値観って何だろう的な話になっている。

本当なら成された慈善行為については周囲の人が積極的に教え広め、行為をした本人達がわざわざ伝えなくても良い状態となるのが一番。少なくとも日本人的感覚としては。海外は少々この点でセンス的な違いがあり、積極的にアピールするのが当たり前となっている。宗教論的な倫理観の違いも多分にあるんだろうな。「神は常に見ておられる」か「神よ見てください」か。

で、アピールするしないは別にしても、成した行為が称えるべき内容ならば、どのようなアピールをしようがしまいが賛美すべきことに違いは無い。アピールしたことでその内容が欠けることは無い。仮にアピールすること自体が理由であったとしても(そんなことは第三者からは分からないし)。

数々のODAや以前のイラク戦争でも問題視されたけど、日本ってとかくこの「良いことをした時のアピール」が上手くないような気がする。アピールしないとその行為そのものが他人に知られる可能性はグンと低くなるだけでなく、下手をすると第三者にその実績を横取りされ、事実を書き換えられてしまうかもしれない。自己満足で済ませちゃいけないんだよね。

個人的にはこのプロモーション......というか自己PR的なものにももっと力を注ぐべきではあるし、世間ももっと評価をすべきだと思う。企業が成した慈善事業なども良い例だよね。

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このページは、不破雷蔵が2014年11月 4日 07:01に書いた記事です。

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